グビロヶ丘原爆慰霊碑について

 

原爆五十周年記念事業-長崎医科大学薬学専門部はよみがえる-

 
元長崎大学医学部付属病院薬剤部長
元同窓会長
市川 正孝 (昭33)
 

 平成11年度の長薬同窓会総会は歴史に残る印象深い総会になりました。これも近畿支部会員の方々による努力と久し振りに関西地区で開催したことへの会員各位の郷愁が募り盛況を倍加させたのではないでしょうか。まず冒頭に会報を発行するにあたり,近畿支部への感謝を申し上げたいと思います。
 
 さて今年は,長薬同窓会にとって特別な年になりました。それは,原爆五十周年記念から4年が経過していますが,長崎医科大学薬学専門部自身が原爆の犠牲になった悲惨な歴史に,祈りを捧げる慰霊の碑が建立されたことです。長年放置されていたグビロガ丘裏側の斜面に雑木が繁茂した場所があり(現在の熱帯医学研究所付近),旧薬専校舎地域の射的場跡に防空壕が採穴されたとの資料が見つかりました。原爆五十周年記念誌及び薬学百周年記念誌からは,爆撃に備えて,主として薬専の教職員及び学生によって防空壕が掘られる途中に原爆を受け,大部分の方々が犠牲になったと記載されています。そこで,その場所を探索した結果,防空壕跡地のかすかな形跡が見つかりました。その地域を慰霊の場所としていかに残すかを検討することになり,長薬同窓会,医学同窓会及び医学部の三者による協議を始め,基本的には本年の原爆記念日までに慰霊碑を建立する方針が固まりました。薬専に最も関係が深い場所であるだけに,長薬同窓会長として意志反映の主役になることは当然であり,建設予算にもある程度言及すべき立場にあることは充分承知した上で話を進めました。医学部事務長が極めて協力的で,事務職員,施設係等のボランティア作業によってグビロガ丘山腹遊歩道が整備されました。これはグビロガ丘の頂上へ登る途中から射的場へ回遊する道筋になるもので,自然を生かした遊歩道の感じがして草木を楽しみながらグビロガ丘の裏側まで続く路は何にもまして心が安らぐ環境となりました。平成11年3月9日関係者による開通式が実施された後,慰霊碑建立の設置場所が設計され,整備が行われました(写真1,写真2及び写真3)。
 
 長崎医学同窓会からは医学部教授相川先生がお世話の係りに当たり,私と医学部事務長の三者で具体策作りが始まり,結果的には長崎医科大学講堂玄関の石柱で爆風によって折れた部分が保存されているため,その原形を留めたままのものを慰霊碑として使用することが決定,さらに医科大学時代の校内に敷きつめてあった石畳を基礎として,ある程度の慰霊碑周辺に敷きつめる計画が基本的構想になりました。原爆投下直後の悲惨な状態の中,医療班とは言えないまでも永井隆先生が薬専の同胞,負傷者の治療に奔走された御様子の記述があり,今回の慰霊碑の側面に実筆の「平和を 隆」を刻み,裏面に長薬同窓会,長崎医学同窓会,及び長崎大学医学部を並記しました。平成11年8月9日午前10時からの池田学長,斎藤医学部長,毎田医学部教授(長崎医学同窓会代表),藤田薬学部長,そして市川医学部教授(長薬同窓会長)による除幕式が無事挙行されました(写真4)。
 
 まだ,ご覧になってない会員の万々のために角度を変えて慰霊碑の写真を掲載致します(写真5,写真6及び写真7)。総建設費120万円を長築同窓会,長崎医学同窓会及び医学部で3等分し完成しましたが,長粟同窓会としましては,特別に寄付をお願いすることなく,理事会の判断により予備費から出費させて傾きましたことを,本稿によって全会員の皆様にご同意頂きたいと思います。
 
 今年の原爆記念式典(毎年医学部記念講堂で開催)は,特に薬専に関係が深いこともあって,体験談の講和を薬学側から出して欲しいとの申し出があり,松友雅夫先生(昭和23年卒)に御家族の被爆体験を含め,大変感動的なお話を伺うことができました。式典後の関係者懇談会の席には,関西からわざわざ御出席いただいた富田恒夫先生(昭和20年卒)に御参加を願って,原爆の直撃時に防空壕の奥にいて一命をとりとめた当時の生々し思い出話をお聞きし,改めて原爆の悲惨な歴史を感銘深く拝聴した次第です。このように本年の原爆記念日は薬学専門部にスポットを当てた行事となり,医学部と心のつながりを再確認すると共に,研究・教育においても深いつながりの中で存在価値を論ずべき時に来ていることを今更のように感じています。
 
 医学部では大学院医学研究科重点化計画に基づき,平成12年度に既設の専攻の専門分野を一部再編成し,新興感染症病態制御学系専攻(独立専攻)の新設を関係法令の制定及び平成12年度の予算の成立を条件として具体化を急いでいるところです。通常の研究組織では,国立大学として生き残ることの難しさを認識しなければならない時にきており,従来にないような医学の基礎と臨床が一体化し,さらに薬学の医療分野が合流するようなメディカルサイエンスを指向しなければならないのではないでしょうか。薬学部にも機を同じくして臨床薬学独立専攻の大学院が併設され,今後の薬剤師専門教育,研究分野に大きな期待がかかっています。
 
 今回慰霊碑ができたことによって,薬学部が医学部の歴史,現在及び未来に密接に関係をもつことになったことは,大変結構なことであり年に一度は薬学部による慰霊碑へのグビロガ丘遊歩道及び慰霊碑周辺の草刈と環境整備を是非実行していただきたい。それによって,教職員及び学生の医療に関する倫理観が自然に育成されるものと期待しております。


写真1
写真2
写真3
写真4
写真5
写真6
写真7

(写真1)平成11年3月9日,グビロガ丘中腹から射的場,防空壕跡地へ向かう遊歩道が医学部職員の献身的な努力によって完成し,開通式が行われた。向かって左から市川医学部教授(長薬同窓会長),斎藤医学部長,相川医学部教授(長崎医学同窓会代表),後方左側前列池田医学部事務長をはじめ関係職員。


(写真2)グビロガ丘中腹から射的場へ向かう遊歩道を開通式後に散策し、防空壕跡地へ向かう関係者一同。

(写真3)遊歩道が到達した防空壕跡地周辺を聖地として整備し,慰霊碑建立にふさわしい環境の基本的設営が完成した。向かって右側の階段が遊歩道からの到着地点となる。

(写真4)平成11年8月9日午前10時より慰霊碑建立の式典を行い,除幕式が行われた。向かって左から池田学長,斎藤医学部長,向かって右端から市川医学部教授(長薬同窓会長),藤田薬学部長,毎田医学部教授(長崎医学同窓会代表)。

(写真5)薬専枚舎地域射的場跡地に採穴された防空壕を背に建立された慰霊碑。周辺は整地し,医科大学時代に校庭で使用されていた石畳の一部を敷きつめ礼拝ができるように基整ができ,さらに献花,お香を焚いて慰霊を葬うことができるようにデザインされている。慰霊碑の筆跡は,グピロガ丘頂上に建立されている慰霊碑と同じ,古屋敷宏平学長(長崎大学第2代)によって書かれた実筆を写真に撮り縮小して刻んだものである。

(写真6)慰霊碑の側面に,永井隆先生の筆跡をそのまま刻み,思い出も新たに霊をなぐさめ,平和を祈る精神がこめられている。

(写真7)慰霊碑の裏側に,長薬同窓会,長崎医学同窓会,及び長崎大学医学部の三者で建立したことを明記している。