平成11年度野球部同窓会 | キャプテンの手記 |
試合成績 |
長崎大学薬学部野球部同窓会
会 長 西脇金一郎
平成11年5月3〜5日、第一薬科大学にて行われました九州薬学生連盟野球大会において、わが長崎大学薬学部野球部が21年ぶりに優勝致しましたので、長薬同窓会ホームページを介しまして、早速、今回の朗報をお伝え致します。
長崎大学薬学部野球部の歴史に関しては、百周年記念誌をご覧いただければ少し載っています。私どもの野球部同窓会名簿では、昭和7年卒(大坪芳郎、栗並喜久雄、以下敬称略)2名の会員から始まっています。戦後の混乱期を挟んだものの、昭和24年卒(池正、北島政雄、松永昭二、松前繁樹、森田稔、吉田等)からは毎年多くの部員の名前があります。九州薬学生連盟(略称 九薬連)の前身は九大薬、熊薬と長薬の定期戦(昭和20年代後半頃から)であったようです。昭和34年から九州5大学薬学部(長崎、九州、熊本、第一、福岡)による九薬連大会が発足し、長薬が最初に優勝したのが昭和37年卒(吉田研次他)の時でした。昭和38年(1963年)頃から学園紛争が始まりました。薬学部野球部は丁度そのころに、野球部同窓会として先輩と現役の交流戦を企画し、以来、44年ころに一時途切れたことがありましたが、毎年秋、恒例OB会へと続いています。その中で、昭和46年(1971年)の九薬連の大会で2度目の優勝をしています。メンバーは矢野俊夫(昭和47年卒)と松田徹生(昭和47年卒)を中心とした昭和47、48、49、50年卒の部員達です。第一薬科大学であった大会と記憶していますが、優勝祝賀会を薬学部集会所で行い、4斗樽の鏡割を行った記憶があります。
その後、強い時代もありましたが、運のなさもあり優勝する事ができませんでした。5校でリーグ戦を行っており、優勝にはなかなか手が届かなかったようです。しかし、7年後の昭和53年(1978年)に長崎であった九薬連大会で3度目の優勝をすることができました。当時は昭和54年卒の高倉智浩、永岡淳作、浜田哲也、平田敏男、村野弘和、武永敬明、長谷川昭生、井上智喜の8名の4年生がおり、また、3年生には西木紳一(投手)を擁しておりました。54、55、56、57年卒の部員の偉業でした。この後も、結構強い学年がありましたが、優勝はできませんでした。 そして、本年、1999年ですから足かけ21年振りの優勝となります。連覇の経験はなく、来年はそれに挑むことになります。本年の記録等に関しては、現在の野球部主将山口 隆君の手記をご参考下さい。
野球部同窓会も年々増加し、300名を超しております。今や全国各地の長薬同窓会支部では、野球部OBの若い力が原動力となって会の発展に努力しています。長薬同窓会の皆さんの長薬野球部に対するご支援ご協力を心からお願い申上げる次第です。
(西脇 金一郎)
野球部主将 山口 隆
今年の九薬連は、5月3、4、5に第一薬科大学で行われました。これまでの先輩の成績を振り返ってみると、4位、3位、2位、と徐々に優勝に近づいてきているので、「今年こそは」という意気込みでキャプテンを引き継ぎました。九薬連前、口では必ず優勝するといってはいたものの、「福岡大学や第一薬科大学に勝つ事はできないだろうなあ」と言うのが本心でした。それは今まで先輩が戦ってきたのや自分が戦ってきた経験のせいもありますし、なにしろ、このチームになってから殆ど勝った事がなかった事にあると思います。
九薬連前までの成績は1度OBチームに勝っただけで、その後は全て大差で負けていました。このチームは5回までは本当にひきしまった良い試合をするのですが、突然エラーやピッチャーの調子が悪くなったりして、大差で負けるというのがパターンでした。
5月3日。出発前、部員とマネージャとみんなで円陣を組んでバスに乗り組みました。この日、福岡についてから雨が降り出しました。抽選により第1試合は第一薬科大学と当たることになり、くじ運のなさに部員に罵声を浴びせられました。
5月4日。雨が降りやまず、試合は明日に延期される事に決まりました。この日の話し合いで、明日の試合は7回戦までか、1時間半以内で、3位決定戦はしないということに決まりました。上にも述べました樣に、僕達のチームは、前半は強いので、これが1つの優勝の要因だったと思います。
5月5日。晴れ、やっと試合ができるようになりました。まず、第1試合。第一薬大との試合。第1球目ストライクの後、デッドボール、いきなり崩れるかと心配しましたが、肝の座っている2年の川端と鈴木のバッテリーが三振をとり、二盜も刺してツーアウト。3番バッターを四球で歩かせはしたものの、4番の打ち上げたフライを入ったばっかりの1年岡ががっちり掴んでスリーアウト。1回表を0点で押さえました。1回裏の攻撃、僕が、3球目を右中間にクリーンヒット、2番の岡が三振、3番ショート3年の山本がライト前、4番ライト3年の浜野が倒れた後、5番レフトの3年の久保田がフォアボール、6番のキャッチャー鈴木のレフト前で僕が還って先制しました。なおもツーアウト満塁でしたが、7番ファースト3年の佐道がピッチャーフライでスリーアウト。とりあえず先制したので勢いに乗りました。
2回は両者0点でしたが、3回表薬大の攻撃の時。ツーアウトまでとったのですが、レフト前、四球、四球で満塁の後、ライトオーバーの走者一掃の三塁打で3点、センターの僕とライトの浜野とのお見合いでさらに1点を取られ、合計4点取られました。この間、勢いを引き戻す様なプレイ<レフトの3年の久保田がダイレクトでホームを刺したり、センターの僕とショートの山本との中継と、キャッチャーの鈴木のブロックでホームを刺したり、>もありましたが、5回にも1点追加され、5ー1になっていました。時間制限もあり、もう駄目かなあと思いましたが、その裏の攻撃、先頭打者の岡がセンター前、3番の山本が四球で、ノーアウト1、2塁。ここで4番の浜野がライトオーバーの走者一掃のタイムリ−スリーベースヒットで、2点が入り、5ー3。つづく5番の久保田がレフト前で5ー4。6番鈴木もレフト前、7番佐道が相手のエラーで出塁し、ノーアウト満塁。ここで打順はサード浜本だったのですが、極度のあがり症。そこで、毎朝練習に早く来ていた3年の志満なら任せられると思い代打に送りました。結果は内野ゴロでしたが、奮囲気が一層良くなりチームがよりまとまりました。ワンアウト満塁になった後、9番川端がセンターオーバーの二塁打を打ち、2点取って5ー6と逆転しました。さらに、僕の犠打で5ー7として最終回を迎えました。あとは、2点差を守れば良いだけです。ワンアウト、ツーアウトと簡単に打ち取ったものの、3人目にはエラーで出塁を許してしまいました。次の3番バッターに左中間を抜かれるスリーベースヒットを打たれてしまい6ー7。ツーアウト3塁。迎える次のバッターは4番でした。カウント2ー1と追い込んだ後の4球目、レフトに打ち上げられたフライを久保田が捕り、1回戦を6ー7で勝ちました。
決勝は、福岡大学と戦うことになりました。勝つ事は難しいと思われましたが、2回表。僕達の攻撃の時、ツーアウト1、2塁で、8番の浜本がレフト前にヒットを打って先制しました。それからはこっちのペースで、終わってみると8ー4で勝ち、優勝してしまいました。この大会を振り返ってみると、打ったヒットは24本、奪った三振は10個、と最高の試合でした。僕自身も伝統ある長崎大学薬学部凖硬式野球部のキャプテンの責任を副キャプテンの大山や、部員、マネージャー、OBの皆さんの支えのおかげで果たす事が出来、最高の形で次のキャプテンである浜野に引き継ぐことができ感謝しています。有難うございました。現役を離れることはさびしいですが、今度は優勝旗をずっと長崎におけるように、後輩たちをバックアップしていくつもりです。
1回戦
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第一薬大 |
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長崎大薬 |
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長崎大薬 |
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福岡大薬 |
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