昨年、会社を定年退職し11月に大阪から長崎(諌早)に帰って来て、はじめて市川先生が入院されていることを知り驚きましたが、そのうち軽快退院されるだろうと軽く考え、退院されたら度々お会いできることを楽しみしておりましたところ、突然、先生の訃報の連絡を受け殊更驚きました。
先生は、私が昭和33年に大学に入学した年に薬学部を卒業され、助手として勤務されておられました。先生に初めてお会いしたのは、私が野球部に入部するきっかけになった時でした。それは、1年の教養の後期、昭和町の薬学部のグランドで高木康先生に捕手をして戴き投球練習をしていた時です。校舎から白衣を着て出てこられて高木先生の後ろから投球をじっと見ておられた方が市川先生(その時は市川先生とは知りませんでした)でした。先生の目に適ったのか、後日高木先生から野球部に入部を進められ入部することにしました。それ以降市川先生に数多くお世話になりますが、特に4年の教室の実験及び卒業後の就職にお世話になることになりました。
教室は、一番ケ瀬尚先生と市川先生がおられた薬剤学教室に入りました。実験のテ-マはクマリンの合成でしたが、一番ケ瀬先生が10月に熊大薬学部へ移動されましたので、その後を先生1人で私ら学生5人(男性3人、女性2人)が卒業するまで実験及びその実験のレポ-トの書き方まで丁寧にご指導して下さいました。その時先生は助手として勤務されて4年目とゆう若さで私らのため人1倍大変苦労されたことを思うと本当に感謝に絶えません。そして私らの卒業を見届けられてから熊大薬学部へ転勤されました。
卒業後の就職について私が会社(その当時は、各会社の説明会がなくプロパ-=MRの仕事は何をする仕事か知らない状態でした)の選択に迷っていた頃、先生に相談したところ快く相談に載って下さり、先生から野球部の先輩でもある角田正之先輩が就職している塩野義製薬を受けたらどうかと貴重な助言をして下さいました。そして昨年定年退職するまで37年間当会社に勤めるこになりましたが、これも先生と出合いが逢ったからこそと思っております。
今回諌早に定住することなって、これから先生と色々な話しや野球部のOB戦でいっしょにプレ−できることを楽しみにしておりましたが、そのようなことが適わなくなり非常に残念でなりません。
<写真は36年11月に教室全員で福田の海岸に遊びに行った時のものです>
|