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三明さん・市川先生の想い出(感謝を込めて)

 


昭和52, 院昭和54 年卒業 高田 充隆

 長崎での学生生活は私の青春そのものです。そして、それは野球部と薬品合成化学教室の想い出です。さらにもう一言付け加えるなら、それらの想い出のすべてが三明さんに繋がっていくのです。昭和48年に入学した私は、当初、特にクラブ活動にもあまり興味がなく、結局1年間はぶらぶらと学生生活を送ることになりました。2回生になろうとしていた昭和49年の春休み、当時の同級生で野球部だった橋口(故人)と北村がちょうど引っ越しをしようとしていた私のところへやってきて、引っ越しを手伝うというので、布団を車に積んでもらったのですが、着いたところが薬学部の集会所で、ちょうど野球部が合宿をしていたところでした。しかたがないので、しばらく集会所に泊まることになったのが野球部に入部したきっかけでした。それまで、友人といえば下宿の友人か、薬学部の同級生というところでしたが、それ以来、まず、野球部の先輩からはじまり、野球部に関係していた先生方など、急に世間が広がっていきました。その中でも三明さんは、先生でもあり、先輩でもあり、また兄のような存在として、私にはなくてはならない存在となっていきました。野球部以外で私の大学生生活のもう一つの柱となった薬品合成化学教室での3年間の経験、そして古川先生や木下先生との出会いも、三明さんや野球部の先輩なくしてはなかったものです。この薬品合成化学教室での3年間の経験は一見、現在の私の仕事である病院薬剤師という職業にはあまり関わりがないようですが、このときに古川先生はじめ合成化学教室の先生方や先輩から教えられた科学に対する基本的な考え方が、今役に立っています。これも結局は三明さんとの関わりがあったからこそだと思っています。
 三明さんとの想い出として一番心に残っていることは、とにかく三明さんは野球が好きだということです。野球部が野球をするのは当たり前ですが、それ以外にも合成化学教室でも、毎日対戦相手をさがして年間100試合ほどソフトボールをしていたように記憶しています。また、毎年夏になって高校野球が始まると、毎日松山球場まで観戦に行きました。そして、教室でする話はプロ野球の話。毎年長崎で開催されるOB会に出席したいのはやまやまなのですが、関西に住む我々にとってはなかなか難しく、ここ数年は摂南大学の小井田先生や、中牟田君のお世話で、大阪でOB会を開催しておりました。三明さんはこれにも毎年出席して下さり、私ども関西に住む者にとって楽しみのひとつになっておりました。三明さんの訃報を聞いたとき、まさかあの元気な三明さんがという思いでいっぱいでした。長薬野球部を通して、私の人生にさまざまな広がりを与えてくれた三明さんに心より感謝するとともにご冥福を祈り致します。
 また、市川先生は私が学生時代には、ちょうど熊本大学におられる時期であり、直接の接点はありませんでした。ただ、九薬連が熊本であった際に、応援に来て頂いたことだけが、思い出されます。ただし、市川先生が同窓会長になられてからは、近畿支部の同窓会に毎年出席頂き、幹事として大変感謝しておりました。全国各地で開催される支部同窓会に出席することは大変なことと思いますが、副会長であった三明さんとともに同窓会のために尽力されている姿が目に焼き付いております。平成11年6月19日に長薬同窓会総会が大阪で開催された際にお会いしたのが最後になってしまったことが残念でたまりません。心より冥福をお祈り致します。

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