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市川先生の思い出、渡辺先生との約束

 


昭和51 年卒業 板倉 忠則

 市川先生は私が大学院の学生の時、熊本大学薬学部の助教授だった。私の熊本での学会発表の日、それまでお会いすることがなかったが、野球部の後輩ということで、昼食をご馳走になった。渡辺先生もご一緒だった。学会発表で緊張している私をユーモアのある会話で激励してくださった。学会発表が終わり、フロアを見ると先生が優しそうに微笑んでおられるのが嬉しかった事を憶えている。その後、野球部の同窓会で何回かお会いした。私は卒業後、縁あって島根医科大学病院に勤務した。大学病院在職中に第1回の日米合同薬学大会がハワイで開催された。その時に市川先生とお会いした。先生から松山賢治先生(現武庫川女子薬科大教授)を紹介された。三人で談笑して飲んだことを昨日のように憶えている。先生にはお世話になった。その後も野球部の後輩というだけでお会いすると優しく声を掛けてくださった。渡辺先生との思い出は多い。私の良き先輩であり、良き兄貴分であった。渡辺先生との出会いがもしなかったら、私の学生時代もだいぶ色あせたものになっていたかもしれない。
 沢山の思い出の中で、やはり最後に渡辺先生と会った日の事が今となっては一番心に残る。それは渡辺先生が機器分析の学会で松江に来られた時のこと。その楽しい思い出は薬学部の大渡氏からの電話で始まった。「今度、三明さんと松江に学会で来るから一緒に飲もう」。それは懐かしい電話だった。渡辺先生が島根に来る。一緒に酒が飲める。考えるだけでワクワクした。早速、松江在住の間瀬田先輩(島根県警勤務、S47年卒、薬化学)に電話した。松江のことだから、場所の設定は間瀬田氏に一任した。長崎大学薬学部に電話し懐かしい渡辺先生の声を拝聴した。先生は「松江は良く分かるから、店に直接行く」とのことだった。奥様の実家が松江だったことを思い出した。
 当日、私が大渡氏をホテルに迎えに行き、店に案内した。間瀬田先輩が笑顔で迎えてくれた。まずは三人で乾杯してのどを潤した。しばらくすると、真打登場となった。渡辺先生があの笑顔で「しばらく、しばらく。板倉君、元気だった?。間瀬田さん、元気だった?。」「お久しぶりです。先生もお元気そうでなによりです。」。そうなんだ、渡辺先生は学生時代からいつも優しい笑顔だった。
 飲みながら、渡辺先生と二つの約束をした。一つは長崎大学薬学部同窓会の山陰支部の活性化だった。渡辺先生曰く「山陰支部は動きが悪い。二人で活性化しなさい。」さすが同窓会の副会長と感じた。二つ目は合成化学教室の古川先生を囲む会を出雲で開催することであった。これは私が先生に申し入れしたことだった。先生は大変喜んでくれた。色々な話をして、飲んで楽しい一晩だった。私一人出雲市に住んでいるので早めに帰宅した。今日は楽しかった。じゃ来年、先生との約束を実行しようと心に決めた。
 長女の大学進学も決まり、渡辺先生との約束を今年は成し遂げようと思っていた矢先の先生のご逝去だった。先生のご逝去から早や半年が過ぎた。その約束は果たされていない。そしてそのことが私の心に重くのしかかっている。
 市川先生、渡辺先生お二人のご冥福を心からお祈りいたします。
                   合掌

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