2月26日の朝、級友の田原君から「渡辺先生が亡くなられた」との連絡があった時は、「嘘だろう、あの元気な三明さんが何で…」と呆然となりました。
三明さん(渡辺先生のことを三明さんとお呼びすることをお許し下さい)とは昨年の夏に、長薬同窓会の四国支部長の選任のことで何度か電話でお話したのが最後になりましたが、四国支部長も決まったので、今年は是非、副会長の三明さんに松山までおいでいただき、久し振りに支部会を開こうと松山在住の連中と話し合っていた矢先のことで、残念でなりません。
三明さんとの想い出は、私の青春そのものでもあり、長崎での6年間を振り返る時、三明さんなくしては語れません。野球部の先輩・部長として、合成化学教室の先生として、また兄貴分として本当に頼れる存在でした。このことは私だけでなく、三明さんと縁のあった仲間は皆、そう思っていたのではないでしょうか。
忘れられない薬学部の研修旅行も三明さんが中心となって進められたと後で聞き、なるほどと納得いたしました。あれだけの規模の行事を企画し、実行にこぎつけるには並々ならぬ御苦労があったのではと思います。
また、教室旅行も印象に残る想い出です。合成化学教室はお金を使わず体を使って自然と親しもうと、祖母山や九重等の山々に出かけました。今、当時の写真を前にして、この文章を書いていますが、どの写真を見ても三明さんのあの何ともいえないなつかしい顔があります。涙が自然に出てきます。でもこの涙は悲しみだけの涙ではありません。なつかしい、ありがたい感謝の涙でもあります。
合成化学教室では、学業を除けば(非常に反省しています)本当に充実した日々を送らせていただきました。夏休みが終わる少し前に、早めに長崎に帰り教室に顔を出すと、茶色のランニングシャツを着た三明さんが「おお、青野、元気!」と声をかけられ、「ああ、長崎に帰ってきたなあ」とホッとした気持ちになったものです。また、教室の実験の合間をぬって、本当によくソフトボールや野球をしました。そこで一番ハッスルするのが三明さんでした。投手の時はあの独特な変則サイドスロー、バッターの時はあの独特な首とバットをねかせたフォームで私達学生と真剣に打率を競ったりしました。その姿が今でも目に浮かびます。
三明さんは研究でも遊びでも何をやるにも本当に真剣でした。野球部に入ってすぐの歓迎会か何かの時に、三明さんから「ドクトルジバゴ」の話と「人生とはPASSION(情熱)だ」といった内容の話を聞いたように思います。詳しい内容は忘れましたが、「PASSION」という言葉はいつまでも心に残っていました。長崎を思い出すとき不思議とこの言葉が心に浮かんできます。
振り返ってみると、三明さんは本当に「PASSION」そのものの人だったなあ。あのタフな行動力の源が「PASSION」だったんだなあと思います。私にとってこの言葉は、三明さんからの贈り物としてこれからも大切に生かしたい。そして三明さんのような本当に充実した人生を歩みたいと思います。
遺された奥様、ご子息様は、さぞ御無念のこととお察しいたしますが、三明さんは私達皆の心の中にしっかりと想い出を残して下さいましたので、どうか、私達にまたいつでもお声をおかけ下さい。
取り留めのない拙い文章となりましたが、お許し下さい。
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