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渡辺三明先生の思い出

 

(薬品合成化学教室)
平成5, 院平成7 年卒業 山田 正紀

 渡辺先生との思い出は数多くありますが、とくに教室での出来事が心に残っているのでそのころのエピソードを綴らせていただきたいと思います。
 一言で言うと本当によく怒られました。もともと理解力に乏しかった私は失敗ばかり。「絶対こぼすな!!」と言われた強烈に臭い薬品(1滴落としただけでそのフロアーに激臭が充満する)をビンごと倒したり、リチウムを指先で発火させたり、実験手順は間違える、大事な時に外出している…など数えきれない粗相をさんざんくり返しました。はっきり言って、当時はあまり好感はもたれていなかったといまでも自負しています。失敗はよくするものの、それほど打たれ強くない私は、毎回怒られるうちにかなり落ち込んでいきました。
 そんなある日、先生は「留学していたころは朝6時からみんな実験をしていた。」というようなことを朝のコーヒーの時間に私に話しました。私は失敗だらけの汚名をはらすため、それからしばらくの間、6時とはいきませんでしたが先生が来る時間(7:40ぐらいだったか?)に教室に通いました。でもそのころから、先生はいつもあまり話してくれなかった私に、次第に笑顔を見せてくれるようになりました。
 それからというもの、毎朝の約1時間のコーヒーを飲みながらの先生のお話は、半分ぐらいは理解困難(話が古すぎる・難しすぎる)でしたが、あの独特な関西弁・長崎弁・英語をドッキングさせたような(「トリッキーさねー」「レコグナイズするやん」など…)口調でのしょうもない話は次第に、同期の森本らとともに1日の日課となっていきました。
 大学院も残り半年ぐらいのころだったか、いつものようにコーヒーブレイクをしていると、先生は私に「こいつはある意味あたまがいい。それは、自分があたまが悪いということがよく分かっている。」といいました。嬉しいような、腹立たしいような複雑な気持ちでしたが、妙にその言葉が心に残っています。今考えると、あれが普段あまり褒めない三明先生の褒め方だったのかもしれません。
 長崎を離れてもう5年以上経ちますが、卒業してからというもの、よく就職のことなどで職場へ連絡してくれたり、同窓会では最近の長崎の状況ニコニコしながらを話してくれたり、学生時代怒られてばかりだった私を慕ってくれるのはたいへん嬉しいことでした。
 今となっては、あの独特な口調やあの笑顔が大変なつかしくおもいます。

『三明先生、本当におつかれさまでした。そして、ありがとうございました。』

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