三明先生の突然の訃報を聞いた時は、かなりのショックでした。その頃、市川先生に続いて、お薬を取りに来られていた患者さんや友人のお父様が亡くなり、「三明先生まで・・・」という思いが強かったのです。
ちょうど長崎を離れていて、お通夜、告別式にも参列できず、大変残念でなりませんでした。
大学院修了後はほとんどお会いすることもありませんでしたがニコニコされたお顔しか思い出せないので、ほんとに信じられないのです。
三明先生との最初の出逢いは三年生の時の実習講義ではなかったかと思います。薬学部に進学していながら合成系が苦手で興味のなかった私は、その講義もボーッとして聞いていたように思います。それなのに教壇に立って講義をされる三明先生の姿を妙に覚えています。顔をふりながら話す、という、もしかしたら私しか気付いていない癖が何だか印象的だったのです。野球部 OB と知ってからも、学校でお見掛けすると、「あっ、顔をふりながら話す MRI の先生だ」と内心思っていたのでした。
その後四年生に進級してからも、ほとんどお話する機会はないままでした。大学院二年生の追いコンの時が私が今までで一番たくさんお話をした機会だと思います。ちょうどその頃、私は急きょ他県への就職をやめ、長崎で薬剤師をすることに決めた時期でした。何気なく、みんなと「長崎で仕事を探さないとねー」などと話していると、三明先生が、薬剤師の仕事をしないか、と声をかけて下さったのです。DI か何かの仕事だったと思います。「せっかく院までいっているし、いい仕事だと思うゾ」と勧めて下さったのです。全く考えていなかった方向に進路変更することになった私は、かなり戸惑い、不安だったし、やる気も失いつつあったのですが、三明先生がそうやって声をかけて下さり、「長崎でも大丈夫かな」ととても励みになり、ほんとにその時は嬉しく思ったのを覚えています。いろいろと考えて、結局は薬局薬剤師の仕事を選びましたが、私にとってはとても印象深い出来事でしたので、先生の訃報を聞いた時は、真先にこのことが思い浮かびました。
市川先生も、お見かけするときはいつもお元気そうで、ご病気のことも全く知らずにいたので、とても頑張っておられた姿からは、こんなに早く亡くなられるとは想像もしなかったことでした。
お二人とも、まだお若くしていらして、本当にこれから、というときで残念でなりません。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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