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私の良き理解者、三明(さんめい)先生

 


平成9 年卒業 林田 壮一郎

「最近どうや!?」「ほうか(そうか)」。
 会えば必ずお声を掛けていただき、いつも心配して下さっていた三明(さんめい)先生。
昨年のOB会のときにも、一次会の合間に廊下でいろいろなことを話し、また、相談にものっていただきました。それを見た後輩からは、まるで私が三明先生に説教されているみたいだった、と言われる程でした。それが、三明先生と話をした最後となってしまいました。そのわずか数ヵ月後の市川先生の訃報に続く、三明先生の訃報。今でも信じられないというのが私の本当の気持ちです。今度また長崎に会いに行けば、また、満面の笑みで「最近どうや!?」「ほうか、ほうか」といつもの言葉で、私を迎えてくれそうな気がしてなりません。
三明先生、本当にもういらっしゃらないのですか。まだまだ、話したいことや相談にのっていただきたいことが山ほどあるのに…。
 私が三明先生に初めてお会いしたのは、今から7年前の春。長崎大学への入学を果たし、薬学部の茶話会での先輩方からの勧誘で野球部への入部が決まり、先輩に連れられて「合成」の研究室に御挨拶に伺ったときが最初でした。緊張している私達新入部員を前に、「どこから来たんだ?、どうして長崎大学に来たんだ?、長崎大学は…」今思えばいつもの調子で「三明節(さんめいぶし)」が始まりました。それが「三明節」を聞いた最初でした。聞いたと言うか聞かされたというか…?今でも、その時の光景がしっかりと目に焼き付いています。それからは飲み会があるごとに「三明節」が炸裂していました。失礼な話ですが、今思えば学生当時は、先生を先生と思っていなかったのかもしれない自分がいたように思います。いつも気さくに私たちに話し掛けていただき、とにかく何でも話し易かったのは事実です。先生と言うよりも何でも話せる先輩であり、私たちの良き理解者であっていただいたと思います。
そして、特に4年生のときには本当にいろいろとお世話になりました。その後の進路について悩んでいたとき、同窓会室の大河内さんとともにいろいろと相談にのっていただきました。お忙しいにも関わらず、長い時間私の話に耳を傾け、親身になってアドバイスしていただきました。就職が決まったときには、何とワインを一本プレゼントしていただきました。学生の私にとって、高価な本当のワインを一本手にしたのはそれが初めてで、とても甘く飲み易く、半分くらい一気に空けて、残り半分は野球部の同期の仲間と飲みましたが、その味は一生忘れることは出来ません。最高の味でした。その後、就職してからも時々先生からお電話をいただき、励ましていただきましたし、結婚が決まったときにもとても喜んでいただきました。本当にうれしく感謝しています。
 三明先生、本当にもういらっしゃらないのですか。長崎に行ったときにはつい忘れて、先生に会いに行ってしまいそうです。今まで本当にありがとうございました。先生の今までのあたたかいお気持ちに応える為、これから頑張って行きたいと思います。これからは、遠いところから私たちをあたたかく見守っていて下さい。

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