ぐびろが丘の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃
8月9日は長崎原爆の日です。昭和20年 (1945年)、アメリカ軍は6日の広島に続いて長崎に第二の原爆を投下しました。午前11時2分のことです。
原爆落下当時、主として長崎大学薬学部の前身である薬学専門部の教職員及び学生によって防空壕が掘られていましたが、その途中に原爆を受け,大部分の方々が犠牲になりました。この場所が、現在の熱帯医学研究所付近、グビロガ丘裏側にあった旧薬専校舎地域の射的場跡です。平成11年、長薬同窓会、医学同窓会及び医学部の三者が、ここを慰霊の場所として慰霊碑を建立しました。詳しくは長薬同窓会報の第39号 (平成11年12月発行) に掲載された、当時の同窓会長、市川正孝先生の挨拶に述べられています。
長薬同窓会では、この慰霊碑周辺の清掃を年間行事の一つとして組み入れ、毎年8月9日の長崎原爆の日の前の日曜日に行なっています。これは、平成11年11月の慰霊碑建立後、平成12年1月6日に急逝された市川正孝先生の遺志でもあると考えています。
原爆の記憶 |
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医学部ポンペ会館に向かって,ポンペ会館左脇の小道がグビロヶ丘への入り口になります。慰霊碑の場所は,地図上で熱帯医学研究所の下のあたりです。