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柏葉健児 目次 背番号10

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渡辺三明先生を悼む

 


昭和35 年卒業 大塚 保雄

 長い間 薬学部野球部同窓会のお世話有り難うございました。
 野球部同窓会の連絡があるとそれからバッティングセンターに通っていそいそと長崎に行っていたのはもう何十年前になるかな−○昭和町のグラウンドには2回行った記憶がある。内儀さんと行ったり、子供を連れていったり、1年1回の家族旅行のような時もあった。三明さんに初めて会ったのは増田和久君(S50年卒・現小倉記念病院薬局長)が4年生の秋だったから昭和49年である。まだまだ三明さんも若くショートを守り途中から あの独特のスリークォーターから変化球を繰り出していた記憶がある。OB対現役の試合の時は何時でも口八丁手八丁と言うより口八丁口八丁のOB軍をまと目役で『エー打順を発表します。卒業年次順に行きます。1番ファースト今泉 2番セカンド工藤 3番ピッチャー市川 4番サード大塚 5番ライト吉田研 6番ショート渡辺 7番キャッチャー笹田 8番センター吉田泰9番レフト上島以上』昭和60年のOB軍の先発メンバー。卒業年次とは 三明さん大変ですね。

 平成10年北九州地区の長薬同窓会が小倉で開かれ、渡辺三明先生は同窓会副会長として遠路北九州まで出張って頂き「大変な時期にかかっている大学の現状について」話して碩頂きました。どこの同窓会も若い方の参加が少ないと嘆いている中、近来まれに見る若い方々の集まりを得て非常に盛会で、幹事の一人として胸をなでおろしました。後刻渡辺先生よりご丁寧な礼状と記念のタイピンを頂いたが、あの踊るような個性ある筆跡も、もう見ることもできない。

 今年1月市川教授の葬儀のおり、北九州からやって来た私を目ざとく見つけて、席に案内して下さった 三明さん。平成12年北九州市立病院、北九州病院と2度目の定年をむかえて40年使った心身をリフレッシュしようと、内儀さんと旅行中大阪で、北九州総合病院薬局大石君(H7 年卒・野球部)より渡辺三明先生の訃報を受けた。にわかには信じがたくそのまま長崎へ直行。列車の中で 古川 淳先生にお会いして詳しく話して頂いた。1月に市川教授を失い 今また渡辺助教授も・・・・‥野球部も、同窓会もリーダーシップを持つ得難い人材を一気に失ってしまった。涙をそそったのは『市川正孝先生を偲ぶ会』の案内状を受け取ったが、発起人の最後に渡辺 三明の名前を見た時であった。
 『三明さん市川さんと天国でゆっくり野球の話でもして下さい』合掌

2000年9月22日

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