前へ

柏葉健児 目次 背番号10

次へ

医薬品合成化学教室の朝

 


平成6, 院平成8 年卒業 吉本 雄祐

 医薬品合成化学教室・第2研究室のホープ吉本が9時過ぎにいつものように合成化学教室に出勤すると、既に渡辺三明先生と岩永梅香あたりが第3研究室(別名お茶室)の椅子に鎮座している。無論三明先生は白衣を着用しており、白衣の汚れ具合から既に反応の一仕込みでも終わっている様子だが、梅香は全く実験をする体勢ではない。うまくいけばコーヒーの匂いまでしている。当然のごとく吉本も白衣を着用はするが、実験の前にお茶室に入り込む。ここからいわゆる「医薬品合成化学教室の他愛もない一日」が始まる。
 今日の話題は何だ? どうも朝のワイドショーで三明先生が仕入れたゴシップネタのようだ。どこそこの芸能人がどうだ、やれ政治家がどうの・・・しかし既に集合している学生二人もこの手の話題にはめっぽう強いものだから、話に花が咲き延々と終わりを見ない。この間サーバーのコーヒーのほとんどがなくなる。三明先生がカフェイン中毒だからだ。なお、サーバー1杯でカップ約6杯分であり、先生好みのアメリカンコーヒーである事を付記しておこう。
 そしてこの時間帯になるとたいがい出勤してくるのが青井澄子、早田文子である。彼女達ももちろん白衣は着用しない。いやもし着たとしても実験の仕込み段階に入る体勢には程遠いのだが、三明先生もそれを咎めるわけでもない。実は第2研究室の木下先生はとっくの昔に出勤しているのだが、ほとんどお茶室には顔を出さない。それを良い事に、さらに話題は展開していく。もちろんゴシップネタ以外、たとえば合成化学らしい実験の話にもなるのだが、3つある研究室の共通話題にはなり得ない。ここは協調性のある三明先生と学生の事、結局話題は次第にお好みの方へ逸れていく。しかし、もちろん誰もその流れを止めるものではない。しかもサーバーに3杯目のコーヒーを誰が指示するわけでもなく入れ始める。たまに三明先生の無言または有言のプレッシャーがかかる事もあるが、良い級友を持ったものだ。
 この間、既に吉本が出勤して1時間は経過しているだろうか? そろそろ合成化学教室の秘密兵器・友田麻夜の登場時間である。三明先生からは9時に登校するよう指示されているものだから、いつもすまなさそうに「社長」出勤して来るのだが、彼女を排除するほど寂しい教室ではない。ちょっと嫌味を言われるものの、それをものともせず輪に入ってくる。これも三明先生の下に付いた強みだろうか?
 ここで三明先生の機嫌は最高潮に達する。お得意の語りが長い事、長い事。自分なりのうんちくをこれでもかと学生5人に振り撒き、煙草の本数もうなぎ上り。そろそろ実験を開始しなければまずいのではないかと考え始めるのだが、何人たりとも先生の勢いを止める事はできない。いつの間にやら最後の合成化学の戦士・小畑滋氏が出勤しているが気に留める者もおらず、結局お昼までこの語らいは続くのである。
 こうしていつも教室には、出身地の関西とご当地長崎弁の混じった「ちゃんと実験せんばあかんっさね〜」という、朝の語らいの長さとは矛盾した声が響いていた。合成化学教室の雰囲気を作っていたのは、紛れもなく渡辺三明先生であった。私を含めた学生が楽しく1年間を過ごせたのも先生のお蔭であったと言っても過言ではない。この度の不幸を聞きつけ、多くの教室卒業生及び野球部出身者が葬儀及び墓前に駆け付けたのがそれを物語っていたと思う。非常に残念な事ではあるが、長崎大学薬学部で三明先生と共に過ごせた時間があった事は、人生の1ページとして忘れ得るものではない。あらためて「ありがとうございました」とお礼を言わせてもらいたい。

前へ

このページの初めへ

次へ