小野島校舎の写真

1945年、8月9日の原爆投下によって長崎市内の原爆落下地点に近接する長崎医科大学は壊滅的な被害を受けました。そして8月15日の終戦を迎えることになったわけですが、校舎を失ってしまった附属薬学専門部は、その年の秋には佐賀に得た仮校舎で再生の歩みを始め、その後、諌早市小野島に仮校舎を移しました。元同窓会長の故伊藤好古先生(昭和22年卒業)の書かれた「小野島校舎跡記念碑建立」の記事(同窓会報第28号)には、原爆により「学内で教職員学生37名を失い,その悲惨な最期は,忘れ得ない悲しい歴史である。」と述べられている。昭和22年から26年までの間、長崎医科大学附属薬学専門部は、この小野島に校舎を置き、卒業生を送り出しました。ここに掲載する小野島校舎の写真は、昭和26年卒業で後に長崎大学薬学部長も務められ、昭和63年の小野島校舎跡記念碑建立にもご尽力された古川淳名誉教授からお預かりして同窓会事務局で大切に保管している貴重な当時の校舎の写真です。ノーベル化学賞を受賞された下村脩博士も昭和26年の卒業ですから、まさにこの小野島校舎で学生時代を過ごされたことになります。下村先生の講演を聴かれた方も多いと思いますが、終戦後途方に暮れていたという下村博士が、長崎医科大学附属薬学専門部、現在の長崎大学薬学部に入学し、化学を学び始めた、将来の化学研究の道への原点でもあります。

伊藤好古先生の記事によれば、校舎は飛行場跡の広大な敷地に建てられていたようで、巨大な格納庫の他に講堂、教室、寮などがあったと記されています。航空写真からその様子がよくわかります。建物の配置図に写真が撮影されたと考えられる方向を矢印で示しています。1番の写真(左上:1番、右上:2番、左下:3番、右下:4番)左側の門柱には、長崎医科大学と薬学専門部の文字をはっきりと読むことができます。

 

 

 

 

長薬同窓会では、小野島校舎跡記念碑周辺の清掃を年間行事の一つとして組み入れ、その都度、本ホームページ上で参加者を募って行なっています。お時間の許す方はご参加ください。ご協力をお願いいたします。

尚、この件に関するお問い合わせは、同窓会事務局までお願いします。