旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃

本年度事業計画の一つであります旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃に関して、事務局で参加者を募りましたところ、9名の方の参加協力を得ることができました。当日(平成17年11月27日の日曜日)は、明け方に雷が鳴るなど天気が危ぶまれましたが、9時過ぎには晴れ間ものぞき、柏葉開館前に集合した8名(諌早の高良先生は現地集合)は、2台の車に分乗し10時ちょうどに出発しました。

10時半過ぎに現地に到着すると、高良先生はすでに草取りを始めておられました。記念碑とその回りの状態は悪くありません。記念碑の後ろを見ると昭和63年6月吉日の建立となっていますから、17年前です。その後も小野島会の先輩方がていねいに手入れをされてきたのではないかと感じます。回りのゴミを拾い集め、雑草を取るとすぐにきれいになりました。朝からの雨のせいか、焼却処分には手を焼いてしまいましたが、懸案であった小野島校舎跡記念碑の清掃事業の第一回目を無事に完了することができました。聞くところによると、小野島校舎は記念碑のすぐ隣のグラウンドのところに建っていたとのことですが、この広々とした諌早の地で先輩方は学ばれていたようです。

清掃終了後、西脇会長の案内で一行はソフトボール場の横を抜けてどこかへ向いました。グランドを過ぎ、赤とんぼ広場と書かれた広場の向こうには蔦の絡まった給水塔が目に入ってきました。回りには金網が張られ、新しい設備ができていましたが、一同、しばしなぜか感慨深げに見入ってから、写真を撮ったのでありました。

帰り際、さきほど清掃を終えた記念碑に目をやると、刻まれた金色の文字が、長薬のシンボル「柏の葉」とともに、ひときわ美しく輝いて見えました。

ひっそりと、静かに建っている記念碑ですが、昔、薬学専門部の校舎はここに建ち、歴史が刻まれていたのです。すぐ隣には諌早「干拓の里」もあります。機会がありましたら、記念碑のことを思い出し、是非一度訪れてみてください。

場所は、諌早干拓の里の横で、市営ソフトボール場のすぐ隣です。

参加者のお名前は次の通り。西脇金一郎、高木康、木下敏夫、中島憲一郎、上田孝子、高良真也、中嶋弥穂子、伊藤潔、武次郁子、以上9名。ご苦労様でした。