昭和38年卒・同期会報告 (2002年)

2002.10.12

われわれ昭和38年同期は,ほとんどが昭和15年(1940年,皇紀2600年)前後の生 まれで,それぞれが還暦や定年を迎える年齢にさしかかって来ました。40名で卒業 し,その後37年,誰一人欠けること もなく,何らかの形でくすりに関係し,世の中 の一隅を照らしながら無事ここまで来れていることを同窓会のメンバーにまずは報 告申し上げます。



 シドニーオリンピックも終え,プロ野球の攻防も目処が立ち,政治や経済は別に して世の中どこと なく落ち着き始めた中秋の頃,2年ぶりの同期会を開催しまし た。2年毎の幹事持ち回りで,今回は関東地区の番で下記の通り。

 日時:平成12年10月12日(木)~13日(金)
 場所:横須賀市佐島のE社保養所及び鎌倉散策






 このての会は,通常なら土・日に開催するものを,それぞれが定年や還暦を迎え 悠々自適の余生を送っている筈だと幹事連の身勝手な独断で,木・金曜日に強行し ました。ところが薬剤師免許で世の中に貢献しようと再就職した人,あるいはご自 分の調剤薬局の人手不足で多忙な同期,いまだに公務 を持っている現役,親御さん の介護やご子息の結婚などなど悲喜こもごもで,欠席せざるを得ない同期が半数い ることが判明,幹事連としては深く反省した次第です。出席出来なかった方々へは 当紙をもってお詫び申し上げます。
 そんな中,遠くは沖縄あるいは山陰,九州から20名が参集。中には貫禄がつき過 ぎ一瞬誰かともわからぬ再会の場面もあったが,数秒もすると昔の面影はすぐ戻 り,わいわいがやがやの歓談。当日は生憎,夕霞で佐島から見る絶景の富士山を仰 げなかったが,一風呂浴びての懇親会。それぞれから近況報告を頂く。60歳を過ぎ ての若作りは儘ならず,娘3人は嫁がせ寂しい限りとこぼし,気晴らしに ボランテ ィアするも60歳代までで,70以上の高齢になると口ばかり先に出てかえって邪魔と 本音をこぼす女性。山をこよなく愛しても疲れが残りすぎると弱音を吐き出す人。 反面,寝袋抱えてあちこちと放浪の旅に出る昔変わらぬ年老いた青年。医療事務試 験に合格して仕事の幅を広げようと前向きな人。くすりの世界よりお茶の世界に深 入りした粋人。60過ぎたらまともな生活をと反省しながら,いまだに物事は明日に 延ばす癖をしきりと反省するお人よし。入社以来製薬一筋の仕事を続ける研究者。 失業保険では小遣い不足でまだまだ働きたいとしながら,ネパールまで一人旅に出 た頑張り屋。先妻を無くし再婚準備中,次回同期会には新妻同伴を轟々する羨まし い輩。週3日は調剤薬局勤めでいまだに登山する元気者。なぜ同窓会に出るのだろ う?物欲から抜け出すにはどうしたらいいだろうか?と いまだに哲学思考の同期。 卒後一度も長崎を訪れてないという奥方。主人は同窓会にしか旅に出して くれない とこぼす律儀な専業主婦。などなど昭和町校舎で薬学を学び,その後それぞれの道 を歩んで迎えた還暦の今,30数年の空白が埋める和気藹々とした時間でした。 そん な中,朗報を一つ。同期の中でただ一人,国立大学の基礎の教授誕生の話に賛辞を 送り,拍手で 夕食懇親会を終了。
 翌日は,マイクロバス仕立で秋の紅葉には少し早い鎌倉八幡宮,鎌倉大仏,長谷 観音などの鎌倉散策。幸か不幸か小雨模様,しかも週日で観光客の賑わいも少な く,中年向けのゆったりしたひと時を過ごせました。
 次回は,わが同期の第二の故郷である長崎で開催することを約束し,全員横浜駅 で解散。


追記  関東地区の幹事の皆さん,心のこもった楽しい会を準備していただいて有 り難うございました。 次回は平成14年(2002)に母校の地,長崎で開催する予定で す。卒後満40年には至りませんが,数えで40年ということで,多数参加していただ けるよう準備します。(長崎地区幹事一同)

渡部 邦大(昭和38年卒)