卒業式で伊豫屋会長が祝辞

本年の卒業式は、4年制の薬科学科と6年制の薬学科ができてから初めての卒業式に当たります。薬学部畑山薬学部長、甲斐医歯薬学総合研究科副研究科長の挨拶に続いて壇上に立たれた伊豫屋会長は、初めての4年制薬学部(薬科学科)の卒業生40名と医歯薬学総合研究科の修了生を前に祝辞を述べられました。長薬同窓会を大いに活用して人脈を広げ、また、同窓会の運営にも積極的に協力をいただくよう新卒業生にお願いしました。

左の写真で、会場の多目的ホールの右側にスペースがあるのは、6年制の薬学科の学生さんたちがあと2年間、実習と講義を受けて在籍するためです。

卒業式に引き続いて行われた謝恩会の中では、準硬式野球部の雄志による巻頭言と薬学部校歌が披露されました。

 

「関東若手の会」発足

先日、長薬同窓会関東支部より頂戴した会報第39号をぱらぱらとめくっておりましたところ、「若手の会」という文字が目にとまり読ませていただきました。支部の中でも大きな関東支部や近畿支部は立派な会報を毎年発行していらっしゃいます。少人数の支部でも定期・不定期で支部の会報を発行しているところもあると思います。今回は一つ、表題の「関東若手の会発足」の記事を紹介したいと思います。もしかすると全国に散らばる同窓生の中では、このような会の存在は、規模の大小はあるにせよごくごくありふれた集まりであるのかも知れません。小さな集まりが同窓会の大きな推進力になるのではと思います。

今後も楽しい会をたくさん企画してください。森川さん、鈴木さん、永川さんを応援します。関東若手の会には、一応40代以下という制限があるようですが、若手の厳密な定義というのはないはずです。ご自身が若手と思っている内は若手でしょう。あとは交渉次第です。

今回は関東支部会報の記事を一つ紹介しますが、長薬同窓会ホームページで取り上げて欲しい情報、記事などがございましたら事務局の方にご相談ください。不定期ですが、各支部の様子も紹介していきます。

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「関東若手の会」発足

鈴木 秀明(平成14年卒)

 2008年12月、東京駅近くの居酒屋にて長薬同窓生の集まりがありました。「関東若手の会」とは銘打ちましたが、会社の先輩である長尾さん(昭和61年卒)、緒方さん(平成元年卒)と後輩の永川君(平成18年卒)、また長粟野球部の先輩で現在東京在住の森川さん(平成2年卒)と新宿で飲んでいる際に「あの人はどうしているのかな?」とか「あいつは学生時代こんなやつだった」など、とてもおもしろい話が飛び交う中で、「一度どれぐらい集まるか近い年代に声をかけてみよう」という話になったのが発端です。当初の予想では10人前後でも集まればと考えていましたが、長尾さん、緒方さん、森川さんの近い年代の先輩方が多数参加してくださり、最終的には30名前後の大きな会になりました。

会当日は発起人の長尾さんの挨拶から始まり、その後は各テーブルでの歓談、談笑を経て最後は全員での校歌斉唱と、大盛況の中で会を締めくくることができました。私にとってはほとんど初対面の先輩方ばかりで、それぞれが製薬会社、病院、薬局、大学等と活躍の場も多岐に渡っておられました。普段はあまり耳にする機会がない様々な職場の話をざっくばらんに伺うことができ、医薬関連の情報交換・共有という観点においても、とても有意義で楽しい時間を過ごすことができました。これも時期に違いはあれど”同じ釜の飯を食った間柄”という連帯感があったればこそだと思います。先輩方の中には卒業以来の再会という方々も多く、さまざまを昔話に花が咲いている様子を見て、会を開催して良かったなという気持ちで一杯になりました。

私自身、平成16年に大学院を修了後、製薬会社に勤めて今年で6年目。6年と言えば長崎にて学生生活を過ごした年月と同じになりました。いろいろな事がありましたが、月日はあっと言う間に流れていくものだと最近よく感じます。ただ、大学時代にあの教室で、あの研究室で、あの談話室で、あの居酒屋で、あるいはあの集会所で、ともに学び過ごした友人関係は何年経っても変わらないものだなと、今回の「若手の会」の先輩方の楽しそうな姿を通して改めて感じました次第です。色々な思い出を共有していることの素晴らしさを肌で感じられる、あるいは昨日のことのように蘇えってしまうひとときこそが、このような会の一番の醍醐味であると思います。

ところで、この会につきましては、開催から既に1年が過ぎようとしておりますが、昨年の参加者はもとより都合がつかず出席できなかった方々からも「今年はどうする?」といった声をあちこちよりいただいております。そこで、関東近辺にお住いの長英同窓生、特に若い世代の方々にとっての新たな親交の場となるよう、この「若手の会」を今後も開催していこうという話が進んでおり、次回開催は2010年2月6日(土)17時からの予定です(場所未定ですが東京駅付近を予定)。

ただし、参加資格は(一応)若手ですので、年齢40代以下とします。この会報が流れる頃には既に前回参加の方々へは次回開催案内メールが届いているかと思います。また、ご参加希望の方は各年代で幹事を配しておりますので、40代の方は森川さん、30代の方は私(鈴木秀明)、20代の方は永川君まで是非ともご一報ください。

この会は一律にご案内し画一的に開催していく類の会ではなく、「面白い会だから行こうよ」「あいつらに会えるから行こうぜ」というような自主性や口コミを重視した新しいタイプの会を目指しています。皆様にお会いできるのを楽しみにお待ちしております。

岸川直哉准教授(平成10年卒)が九州支部学術奨励賞を受賞

平成21年12月12、13日(土、日)に九州大学薬学部で開催された第26回日本薬学会九州支部大会において、平成10年卒業で薬品分析化学研究室准教授の岸川直哉先生が学術奨励賞を受賞されました。おめでとうございます。
対象となった研究は、「キノンの選択的蛍光・化学発光定量法の開発と環境・生体分析への応用」です。写真は受賞式のもので、支部長の樋口先生(九州大学)から記念の楯を授与されているところです。機会がありましたら、同窓生の方にも岸川先生の研究内容をお話ししていただこうと思います。

旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃

毎年行う事業計画の一つである旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃の模様をお伝えします。

 

 週の前半に久しぶりにまとまった雨が降り、後半も少しぐずつき模様の天気の11月。第3週となった15日は朝からくもり空。雨の心配はなさそうでしたが、少々低めの気温となった日曜日でした。柏葉会館前に集合した麻生(昭24)、木下(昭35)、伊豫屋(昭41)、富永(昭44)、伊藤(昭59)、和田(平4)、岸川(平10)、武次(事務局)の8名は、富永先生と和田先生の2台の車に分乗して予定通り10時に出発しました。40分ほどで目的地に到着すると、現地集合の峰(昭26)、松本(昭24)、吉田(昭37)の3名と合流し、11名で清掃作業に取りかかりました。

 一番上の写真を見てもおわかりのように、雑草の量も少なく40分ほどできれいになり、11名そろっての記念撮影で終了としました。とはいうものの、鎌やはさみを使ってのかがみながらの作業は、慣れない者には結構大変で、麻生、松本、峰の小野島会メンバーである大先輩方に大活躍していただいてしまいました。申し訳ありませんでしたといいますか、ありがとうございました。食事の時の話でも話題になりましたが、小野島会のメンバーの方々の年代が一番お元気だという印象です。「よく歩いたし」とは麻生先生の弁ですが、見習うべきことは多々ありそうです。

 その後は後片付けをして、諫早市内のうなぎ屋に移動し、昨年に引き続き、小野島会メンバーの3名からいろいろなお話をお聞きすることになりました。終戦後、佐賀市上多布施町の仮校舎で講義をしていた薬学専門部は、一時は九大に移るような話も出たようですが、昭和22年からは小野島の地に移ったという当時のお話から始まり、その前の原爆前後の話も含めてお聞きすることができました。昭和24年卒の麻生先生、松本先生たちが第一回目の国家試験を受験された年代だそうで、最初の問題が何だったかと言うことまで記憶に残っていらっしゃるようでした。昭和26年卒の峰先生からは、同級生である下村脩先生のお話もいくつかお聞きしました。下村先生は国家試験には合格したが、薬剤師免許の申請はしていないようだということです。また、ブドウ酒は日本薬局方に収載されている医薬品であるから昼間から飲んでいても・・・といった話も出ていました。お恥ずかしながら、局方など何年も見たことがありませんでしたので、ただただ「へぇ~」と感心するしかありませんでした。話は尽きず1時間を超えていろいろなお話を聞くことができました。なかなか全てをお伝えすることはできませんが、何かの形で残していかねばならないと感じます。機会がありましたら、また皆さんにもご披露できればと思います。

小野島校舎の写真

1945年、8月9日の原爆投下によって長崎市内の原爆落下地点に近接する長崎医科大学は壊滅的な被害を受けました。そして8月15日の終戦を迎えることになったわけですが、校舎を失ってしまった附属薬学専門部は、その年の秋には佐賀に得た仮校舎で再生の歩みを始め、その後、諌早市小野島に仮校舎を移しました。元同窓会長の故伊藤好古先生(昭和22年卒業)の書かれた「小野島校舎跡記念碑建立」の記事(同窓会報第28号)には、原爆により「学内で教職員学生37名を失い,その悲惨な最期は,忘れ得ない悲しい歴史である。」と述べられている。昭和22年から26年までの間、長崎医科大学附属薬学専門部は、この小野島に校舎を置き、卒業生を送り出しました。ここに掲載する小野島校舎の写真は、昭和26年卒業で後に長崎大学薬学部長も務められ、昭和63年の小野島校舎跡記念碑建立にもご尽力された古川淳名誉教授からお預かりして同窓会事務局で大切に保管している貴重な当時の校舎の写真です。ノーベル化学賞を受賞された下村脩博士も昭和26年の卒業ですから、まさにこの小野島校舎で学生時代を過ごされたことになります。下村先生の講演を聴かれた方も多いと思いますが、終戦後途方に暮れていたという下村博士が、長崎医科大学附属薬学専門部、現在の長崎大学薬学部に入学し、化学を学び始めた、将来の化学研究の道への原点でもあります。

伊藤好古先生の記事によれば、校舎は飛行場跡の広大な敷地に建てられていたようで、巨大な格納庫の他に講堂、教室、寮などがあったと記されています。航空写真からその様子がよくわかります。建物の配置図に写真が撮影されたと考えられる方向を矢印で示しています。1番の写真(左上:1番、右上:2番、左下:3番、右下:4番)左側の門柱には、長崎医科大学と薬学専門部の文字をはっきりと読むことができます。

 

 

 

 

長薬同窓会では、小野島校舎跡記念碑周辺の清掃を年間行事の一つとして組み入れ、その都度、本ホームページ上で参加者を募って行なっています。お時間の許す方はご参加ください。ご協力をお願いいたします。

尚、この件に関するお問い合わせは、同窓会事務局までお願いします。

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成21年8月2日(日)の朝、長薬同窓会の年間行事の一つであるぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。毎年20名以上の参加者を集めて行われている清掃活動も今回で10回目を迎え、節目の清掃ということができるかも知れません。8月だというのに未だ梅雨明け宣言は聞かれない中での清掃でしたが(といっても、例年梅雨明けしたと見られるなどという表現ですので、特に梅雨明け宣言が必要で有用というわけではありません)、空を見上げれば夏空の下、汗を流しながらの作業は変わるわけではありません。

 何故か少しずつ開始時間が早くなる傾向のある清掃活動。今年は総勢29名(大学院生6名、学部学生10名、同窓会関係者16名)の参加で、例年のように落ち葉を集めたり、側溝の泥を取り除いたり、もちろん慰霊碑に水をかけてきれいにしたりを行い、昭和22年卒で、原爆投下当時に学生であった田崎先輩が到着される前の10時半にはきれいにしてしまいました。参加者全員で焼香した後は、田崎先輩から当時の射的場と防空壕のことをお話しいただき、毎年のことながら原爆の理不尽さを認識させられます。昨年同様に少々早めに終了しましたので、ぐびろが丘にも登ってみました。ここにも何回か登ってきていますが、何気なく慰霊碑の後ろにも回ってみたところ、永井隆博士の句を見つけました。

 その後は、場所を移して昼食のテーブルを囲み、同窓生と現役学生との親睦を深めながら、田崎先輩から当時の様子をお聞きしました。

 清掃参加者のお名前は以下の通りです(もし名前もれがありましたらお知らせください)。いつも野球部中心のメンバーなのですが、今年は分析化学研究室の大学院生の大山君が参加してくれました。ありがとうございます。毎年8月の第一日曜日(市民大清掃と同じ日)に行っています。記事をお読みの皆様、来年は是非参加してみてください。

伊豫屋偉夫(S41)、田崎和之(S22)、西脇金一郎(S33)、木下敏夫(S35)、富永義則(S44)、中村博(S45)、高良真也(S57)、伊藤潔(S59)、和田光弘(H4)、岸川直哉(H10)、武次郁子、張炯炯(事務局)、古賀健太郎、渡邊裕之、大山幹人(M2)、川崎雄太、田中祐輔、虫明可倫(M1)、山下輝樹(B4 )、荒木康平、中本義人、新田晃也(B3 )、高井しおり、迎武紘(B2)、小野北斗、楠富伊織、熊谷飛鳥、古場百合恵(B1)
暑い中、参加していただきありがとうございました。

下村脩博士ノーベル化学賞受賞特別講演会・祝賀会

下村修博士の特別講演会は予定されている通り下記のように開催されることとなっていますが、会場である中部講堂の収容人数が限られているため、残念ながらすべての聴講希望者が入場することはできないかも知れません。長薬同窓会ではまだ会の詳細について把握できていないのですが、すでに当日の会場は満席の状態になっているような話も聞こえてきます。出来るだけ多くの同窓生の方にご参加いただくことを願い、限られた情報を伝えるべく努力したつもりですが、多くの聴講希望者の皆様の期待に応えることが出来ないかも知れませんことをお詫び申し上げます。

 長薬同窓会事務局へお問い合わせいただきましても、講演会への入場につきましては確約することが出来ません。どうかご了承いただきますようお願い申し上げます。

 また、一部の支部の皆様には、講演会への参加について同窓会事務局へ問い合わせるようにご案内が届いているかも知れませんが、事務局では参加の申し込み等につきまして取り扱うことが出来ません。これにつきましてもご理解いただきますようお願いいたします。

 ただ、希望されている方の中にも当日欠席される方がいるかも知れません。当日は中継映像を大学内の他の場所で公開するのではないかという噂も聞きます。よくわからないことだらけではありますが、どうしてもお聞きになりたい方は、だめでもともとの覚悟で、当日長崎大学中部講堂まで足を延ばしていただけたらと思います。現在、柏葉会館の研修室を下村修記念資料室(仮称)として改装していますので、下村先生に関する資料をご覧いただくことが出来るようになっているのではと思います。不確実な情報ばかりで申し訳ありませんが、新情報はこのページに追加掲載していく予定ですので、当日までの間、長薬同窓会のサイトをチェックし続けていただければ幸いです。

日 時
場 所
平成21年3月22日(日)
長崎大学中部講堂

長崎大学企画展および全学同窓会懇親会のご案内

長崎大学は下記のように長崎大学企画展および全学同窓会懇親会を開催します。
開催の場所は、上野公園にある国立科学博物館で、企画展は3/7~3/15の9日間(3/9は休館)にわたって開催されます。特に地元関東支部の皆さまはもちろん、他の支部の会員の皆さまにおかれましても、東京へお出かけのご用などございましたら是非お立ちよりいただきますようお願い申し上げます。

<本案内に関連するリンク集> *リンクは無効になっています。

長崎大学トップページフォトアーカイブズ
長崎大学熱帯医学研究所の特設ページ
国立科学博物館のトップページ
国立科学博物館の特設ページ

 

長崎大学企画展
開催期間 平成21年3月7日(土)~15日(日)
但し、3月9日(月)は休館日
開催場所 国立科学博物館 日本館1階 企画展示室
〒110-8718東京都台東区上野公園7-20
電話:03-3822-0111
入場料 一般・大学生:600円
高校生以下は無料
  • 展示内容:主に、次のことを一般市民の方々にご紹介します。
  • 熱帯医学研究所の長年にわたるアフリカにおける研究活動
  • 古写真による長崎の文化と歴史、西洋医学・薬学発祥の地長崎大学
  • 学術活動(グローバルCOEという、文科省の教育研究拠点と国際競争力のある大学づくりを推進する事業に採択された長大の研究プログラム)
  • 下村脩先生のノーベル賞関係(長薬勤務時から研究を始められた蛍光タンパクの研究と分子生物学の発展に貢献した功績の紹介。詳しくは、支部会報の齋藤先生、黒岩先生の記事などを参照ください)
全学同窓会の懇親会
日 時
場 所
会 費
平成21年3月7日(土) 18:00~
国立科学博物館ラウンジ(日本館地下1階)
6,000円程度とのことです
長大と全学同窓会の初めてのイベントです。積極的なご参加をお願い申し上げます。

古川淳名誉教授 瑞宝中綬章受章祝賀会のご案内

拝啓 寒冷の候、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、このたび長崎大学薬学部教授、長崎大学薬学部長、長薬同窓会長を勤められた古川淳長崎大学名誉教授が今年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章されました。
古川先生は、昭和25年に長崎大学薬学部の前身の長崎医科大学附属薬学専門部をご卒業後、昭和30年10月から長崎大学薬学部の薬化学の助手、昭和35年5月から薬化学の助教授、昭和45年4月から薬品合成化学の教授を勤められ、研究と教育に邁進され、多くの優秀な学生を世に送り出され、平成5年3月退官されました。
また、その間、昭和55年4月から昭和59年4月まで長崎大学薬学部長を、昭和63年度から平成3年度までと、平成6年度から平成7年度までの2回にわたり長薬同窓会長を、また薬学部の野球部同窓会の会長・顧問も勤められ、薬学部並びに長薬同窓会の発展のため多大な貢献をされたことを慎んでご報告申し上げます。
つきましては、古川先生の叙勲受章をお祝いし、先生の今後なお一層のご健康とご活躍を祈念するため、薬学部で関係の深かった5団体が発起人となり、下記により祝賀会を開催いたしたいと存じます。
ご多用中のこととは存じますが、万障お繰り合わせの上、何卒ご出席くださいますようお願い申し上げます。

敬具

平成20年12月吉日

日 時 平成21年2月8日(日) 12:00~16:00
場 所 ホテルセントラーザ博多(福岡市博多区博多駅)
会 費 壱萬円 (記念品代込み)

 

発起人
  長 薬 同 窓 会
薬品合成化学同門会
薬 化 学 同門会
野 球 部 同窓会
長薬同窓会福岡支部浦陵会
会 長 伊豫屋 偉夫
代 表 篠原 亮太
代 表 松田 芳郎
会 長 西脇 金一郎
会 長 青木 郁

旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃

今年度事業計画の一つの旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃の模様をお伝えします。

 前日の15日はあいにくの雨で、天候が心配されましたが、朝から雨の方は問題なく、長崎を午前10時頃に出発した車中は日差しを浴び少々暑く感じるほどでした。前後しますが、薬学部の柏葉会館前に集合した伊豫屋偉夫会長(S41)、田崎和之先生(S22)、監査の木下敏夫先生(S35)、伊藤潔会計幹事(S59)、和田光弘編集幹事(H4)、岸川直哉庶務幹事(H10)と事務局の武次郁子氏の7名は2台の車に分乗して小野島へと向いました。国道57号線を左折するときに、めずらしく偶然にも島鉄の電車に遭遇してしばらく待たされたあと、干拓の里の方へ向って走るとすぐに見覚えのある景色となりました。

10時半過ぎに到着すると、お隣の諌早干拓の里で何かイベントが開催されていたようで駐車場が満車状態でしたが、運良く一番奥の、ちょうど記念碑の横に車を停めることができました。諌早在住の中村博副会長(S45)、高良真也幹事(S57)らがすでに清掃を始めようとしていましたが、お二人だけでなく今年は小野島会のメンバーが田崎先生を含めて6名も駆けつけてくれております。吉田研次先生(S37)も長崎組とほぼ同時に現地に到着してくれたところでした。

 今回参加していただいた小野島会のメンバーは、田崎和之(S22)、松本康裕(S24)、峰唯信(S26)、立石正文(S26)、岸川良(S25)、西川恭夫(S26)の6名の先輩方です。西川先生は大分より、松本先生、岸川先生は福岡から駆けつけていただきました。ありがとうございました。

 伊豫屋会長が宣伝して下さったお陰で、西日本新聞、長崎新聞、毎日新聞の記者が取材に来ていました。下村先生が学生時代を過ごされ、研究生活へ入る第1歩ともなった地で、集まった当時の同級生や先輩諸氏から小野島校舎のことや下村先生の学生時代の話しなどを熱心に尋ねているようでした。ちなみに、長崎新聞と西日本新聞の記事は確認できましたが、毎日新聞はわかりませんでした。

右の左の写真の手前左側のコンクリート部分が当時の校舎の正門とのことです。この日まで全く知りませんでした。右の写真は古川淳名誉教授からお預かりした貴重な当時の校舎の写真で、同様に手前左側に門があり、薬学専門部の文字を読むことができます。

小野島会の先輩のお話の中で、「この辺が正門だった」というお話が耳に入り、尋ねてみたところ、記念碑の写真の手前にあるコンクリートが当時の門の跡であることを知り、よく見てみると錆びた鉄の蝶番もありました。さらに驚いたことには、先の先、裏の裏まで心遣いが行き届いている武次さんがコピーしてこられた昔の写真には見事に当時の門が写っており、目の前のコンクリートが門であったことを初めて認識することができた日でありました。

清掃自体は、いつものように1時間ほどで終了し、残念ながら都合で昼食会を辞退された方たちを除いて諌早市内の鰻屋へと移動しました。有名な鰻に舌鼓を打ちながら、小野島会の先輩方から一人一人当時の校舎や薬専のこと、下村脩先生のお話などを伺い、和やかで楽しいひとときを過ごすことができました。大変貴重なお話も聞くことができたのですが、いざこの記事を書こうとしてみると、記憶があいまいで大変申し訳ありません。別の機会に是非、詳しくお聞きし直して同窓生の皆さまにもお伝えできればと思います。(08.11.18 伊藤潔)