中島憲一郎教授退職記念祝賀

卒業生の皆さま

平成24年度を迎え、ご多忙の毎日をお過ごしかと存じます。
さて、すでにご存じの方も多いかと存じますが、医療情報解析学研究室の中島憲一郎教授が2012年3月末日をもって、長崎大学をご定年にて退職されます。
先生のこれまでのご功績を記念し、併せて長年のご指導とご尽力に感謝するとともに、今後の益々のご活躍とご健康を祈念するため、下記のように退職記念講演会ならびに記念祝賀会が計画されていますのでご案内申し上げます。

一 中島憲一郎教授退職 最終講義

日 時 平成24年3月16日(金)15時〜16時
会 場 長崎大学薬学部 二階 多目的ホール
題 目 「高感度分析法の開発:光と色に魅せられて」

二 中島憲一郎教授退職祝賀会

日 時 平成24年3月16日(金)18時〜20時
会 場 ベストウエスタンプレミアホテル長崎三階「トパーズジェイド」
〒850-0045 長崎市宝町2−26
電話 095-820-1803
会 費 1万5千円(記念品代込)当日会場受付

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃について

8月9日は長崎原爆の日です。昭和20年(1945年)、アメリカ軍は6日の広島に続いて長崎に第二の原爆を投下しました。午前11時2分のことです。

原爆落下当時、主として長崎大学薬学部の前身である薬学専門部の教職員及び学生によって防空壕が掘られていましたが、その途中に原爆を受け,大部分の方々が犠牲になりました。この場所が、現在の熱帯医学研究所付近、グビロガ丘裏側にあった旧薬専校舎地域の射的場跡です。平成11年、長薬同窓会、医学同窓会及び医学部の三者が、ここを慰霊の場所として慰霊碑を建立しました。詳しくは長薬同窓会報の第39号(平成11年12月発行)に掲載された、当時の同窓会長、市川正孝先生の挨拶に述べられています。

長薬同窓会では、この慰霊碑周辺の清掃を年間行事の一つとして組み入れ、毎年8月9日の長崎原爆の日の前の日曜日に行なっています。これは、平成11年11月の慰霊碑建立後、平成12年1月6日に急逝された市川正孝先生の遺志でもあると考えています。

(追記:平成23年12月16日)

下の関連リンクに載せていますが、2010年の清掃のときに撮影した田崎和之氏(昭和22年卒)の講話は、悲惨な原爆の歴史を後世に伝えていくための貴重な資料の一つです。是非一度はご覧いただきたいビデオです。

田崎和之氏の講話のビデオ

 

原爆慰霊碑周辺の清掃は以下のように実施していますので、お時間の許す方はご参加ください。

暑い中での作業になりますが、ご協力をよろしくお願いいたします。

尚、参加していただける方は7月末日までに同窓会事務局までご連絡をいただければ幸甚です。最近の清掃活動については右メニューの「グビロヶ丘」タグをクリックしてください。

 

日  時:長崎原爆の日(8月9日)の前の日曜日

(原則8月の第一日曜日) 午前10時頃~

集合場所:医学部ポンペ会館前

準  備:作業用服装(清掃道具は事務局にて準備します)

昼  食:清掃終了後、昼食を用意します

旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃

長崎大学ホームカミングデー翌日の11月20日に旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃を行いました。当初清掃は11月6日に予定されていましたが、雨天によりこの日に延期となりました。当日は、前日までの雨も上がり、天候に恵まれた中での清掃になりました。今年は記念碑のある公園の駐車場が非常に混雑しており、駐車には苦労が伴いましたが、記念碑周辺は比較的片付いており、小1時間ほどで清掃作業を終了しました,最後にきれいに拭きあげた記念碑を参加者全員で囲んでの記念撮影を行いました。その後、例年のように諌早市内の鰻屋での食事会となり、先輩方のお話を伺いながら和やかで楽しいひとときを過ごすことができました。

今年の参加者のお名前は次の通りです。麻生(昭24),峰(昭26),木下(昭35),伊豫屋(昭41),中村(昭44),高良(昭57),椛島(平4),岸川(平10),武次(事務局)です、お忙しい中、参加して頂きありがとうございました。

 

北川常廣名誉教授に瑞宝中綬章

11月3日は文化の日でした。お気づきの方もいらしたと思いますが、例年通り発表された「2011年秋の叙勲」における勲章受章者の中に、元長崎大学薬学部教授(微生物薬品化学、現在の細胞制御学研究室)の北川常廣先生のお名前がありました。平成20年に受章された古川淳先生と同じ「瑞宝中綬章」の受章です。おめでとうございます。
特別会員である北川先生の今回の受章は同窓生に取りまして大変うれしいニュースであります。心よりお慶び申し上げます。

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成23年8月7日(日)の朝、長薬同窓会の年間行事の一つであるぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。12回目を数えます。

猛暑の中、しかも定期試験中であるにもかかわらず4名の1年生を含む20名もの学部学生が参加してくれました。加えて、大学院生4名、同窓会役員と事務局関係者10名、特筆すべきは昭和33年卒で前同窓会長の西脇金一郎先生が多忙の中参加してくれたことで、総勢35名で清掃を行いました。

昨年同様、いや少し多いかなという量の落ち葉を目にして、「ちょっと大変かな~」との思いがよぎりましたが、掃除用具を手に取って例年通りの作業に汗を流したところ、1時間ほどできれいにすることができした。作業を終え、冷えた飲物で喉を潤しながらひとやすみした参加者は、記念写真を撮影した後、慰霊碑への焼香をしました。

毎年8月の第一日曜日に行っています。記事をお読みの皆様、来年は是非参加してみてください。

 ポンペ会館横のグビロヶ丘入口と書かれた標識のところから会館の裏へ回り林の中を登る道と熱帯医学研究所の横の階段を登る道があり、どちらからでも静かにたたずむ慰霊碑の場所へたどり着けますが、後者の方がだいぶ近道です。長薬同窓会の年間行事の一つである清掃は8月の年1回ですが、慰霊碑のある防空壕跡地(射的場跡地に採穴された)へはいつでも行くことができます。

今年の清掃参加者のお名前は以下の通りです。

伊豫屋偉夫(S41)、西脇金一郎(S33)、木下敏夫(S35)、高良真也(S57)、伊藤潔(S59)、椛島力(H4)、岸川直哉(H10)、福留誠(H10)、武次郁子、岩崎さん、張炯炯(事務局)、大元崇裕(H22, M2)、黒川裕美(H22, M2)、佐保洪成(B6)、山下輝樹(B6)、増山昌吾(B6)、新田晃也(B5)、中谷勲男(B5)、荒木康平(H23, M1)、服部芳野(H23, M1)、高橋毅行(B4)、迎武絋(B4)、小野北斗(B3)、楠富伊織(B3)、小野舞衣(B3)、古場百合恵(B3)、中谷治規(B2)、遠藤洋二朗(B2)、森田知樹(B2)、山村康雄(B2)、鑓水大介(B2)、堀裕輝(B1)、畑田雄一(B1)、大渡遼介(B1)、安藤逸朗(B1)(もし名前もれなどがありましたらお知らせください)

暑い中、参加していただきありがとうございました。

旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃

和田光弘(平4年)

 今年も11月21日に旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃を行いました。当日は晴天に恵まれ,暖かい日差しの中,清掃を行うことができました。柏葉会館に集合した麻生(昭24),木下(昭35),伊豫屋(昭41),和田(平4),岸川(平10),福留(平10),武次(事務局)の7名が車二台に分乗し,目的地に向け出発しました。また現地には松本(昭24),峰(昭26),立石(昭26),平山(昭41),椛島(平4)の他,山中國暉(昭43),山中みちよ(昭43)ご夫妻にも初めて参加いただき,例年以上に多数の総勢14名にて清掃を行いました。また今年は記念碑周辺の駐車場などがきれいに整備されていたこともあり,記念碑周辺も例年に無く片付いておりました。小1時間ほどで清掃を終了し,最後に参加者全員で記念撮影をし,作業を終了いたしました。

 

 

その後,諫早市内の鰻屋で昼食となりました。美味しい鰻に舌鼓を打ちながら,小野島会の先輩方の思い出話で大いに盛り上がり,時間を忘れて話しに聞き入っておりました。「旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃」と「ぐびろが丘下の原爆慰霊碑周辺の清掃」の2つの同窓会事業は,普段なかなか機会のない先輩方のお話を耳にできる貴重な場として個人的には,楽しみにしております。また披露される貴重な話の数々に,同窓会報の編集幹事としましては,文章にして何とか会員の皆にお伝えできないかと強く思いました。別の機会を設けて是非実現したいと思っております。

 昼食後は近くの諫早高等学校に下村脩先生の銅像が建てられたと報道にありましたので,有志で見学に行きました。立派な像に感嘆の声が上がり,皆で記念撮影をしてまいりました。

 

長崎新聞「みんなのひろば」

2010年10月8日「留学生の母に感謝いっぱい」

 訃報として、2010年8月24日の朝に同窓会事務局の前任者の大河内さんが亡くなられたとのニュースを掲載しました。

2010年10月8日の朝のことです。長崎新聞の朝刊の「みんなのひろば」の声のところに大河内さんに関する投稿が掲載されていましたとの情報がメールで寄せられました。事務局の武次さんに頼んで確認してもらったところ、留学生として勉強し、現在は管理薬剤師として活躍中の張炯炯さんの投稿記事が掲載されているのを見つけました。ここに新聞記事を載せることはできませんが、長崎新聞を購読されている方は是非読んでみてください。張さんはグビロヶ丘下の原爆慰霊碑清掃にも毎年ご協力して頂いています。尚、同窓会事務局では記事をコピーして保存しています。

昭和26年卒業の下村脩先生がノーベル化学賞を受賞

ノーベル化学賞受賞おめでとうございます

私たちはみんなこの日を待ち望んでいました。昨年(2007年)10月20日に長崎大学 中部講堂で開催された、薬学部地域薬剤師卒後教育研修センター主催の公開講演会で素晴らしい、印象的な講演をしていただいた下村脩先生は、間違いなく長崎大学薬学部の前身である長崎医科大学薬学専門部のご卒業です。ここ数年は毎回ノーベル賞候補として名前が挙げられていて、長薬同窓会も新聞・テレビからの簡単な取材を受けていました。今年も10月6日のノーベル医学・生理学賞の発表の数時間前に某全国紙の新聞記者の方から電話があり、もし受賞が決定したら、我が同窓会のサイトで公開している朝日賞受賞を伝える記事の写真を使わせていただきたいとの申し入れがありました。医学生理学賞がパピローマウイルスとHIVの発見者に授与されたことはすでにご存知の通りです。翌日はノーベル物理学賞を日本人3人が共同受賞、そして、10月8日の夕方にノーベル化学賞が下村脩先生と米国のお二人の研究者(マーチン・シャルフィー教授とロジャー・チェン教授)に授与されるとの大ニュースが飛び込んできたわけです。

以下は少し個人的な感想を含むものですが、ノーベル賞受賞前後の同窓会の様子をお知らせしてみようと思います。

もちろん医学生理学賞の候補に上がっているという話は聞いていましたが、6日の時点ではむしろ化学賞の方がふさわしいのではないかなどと考えながら、ノーベル財団のWebサイトを更新しつづけていました。少し残念な思いでその日はパソコンの前を離れたように記憶しています。ノーベル物理学賞を日本人が受賞したというニュースは8日の朝のテレビで知りました。クォークというのは、ちょうど高校生くらいの時に初めて目にし、その名のついた新書を買って読んだ記憶がありますが、当然のことながら内容は全く覚えていません。その時、今夜はいよいよ化学賞の発表かとは思ったのですが、夕方は油断してしまいました。私用で少し早めに帰ろうと手洗いから出たところ、同じ階の先生から「下村先生がノーベル化学賞とられましたね」といわれ、あわててWebサイトを確認すると間違いなく「goes to Osamu Shimomura」と書かれていることを確認できました。その後は、多くの皆さんがその夜のニュースでご覧になった通りです。

9日の朝は新聞を3紙ほど買い、午後にこの記事を書いています。実は、8日の夜は多くの報道関係者が薬学部に駆けつけ、昨年(平成19年)の講演会(日本国内の下村先生ご自身のご講演としてはおそらく最新のものであるのではないでしょうか。写真は講演中の下村先生です。)の資料やビデオ映像の手配でてんやわんやの状況でした。また、各社とも、関係の先生のコメントや学生の感想などの取材に走り回って非常に珍しい光景でありました。対応に追われてしまいましたので、その時の写真がないのが残念です。皆さんがテレビでご覧になった映像の一部は、平成19年10月の講演会のものであったはずです。夜に伊豫屋長薬同窓会会長と電話でお話しする機会がありましたが、夜遅くまでかかってくる電話の応対で、夕方からはとてもおくんち気分に浸っているわけにはいかなかったようです。

長薬同窓会同窓会は、この記念すべき受賞をだまって見ているわけにはいきません。皆で祝福、お祝いし、長薬同窓会、薬学部はもとより長崎大学を盛り上げていきたいと考えます。ご意見、提案などございましたら遠慮なく同窓会事務局までお知らせくださいますようお願いいたします。また、皆さまのご協力をお願い申し上げます。

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成22年8月1日(日)の朝、長薬同窓会の年間行事の一つであるぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。今年は原爆投下から65年という年月が経過した一つの節目の年ということもあり、読売新聞と長崎新聞の記者の方が取材に来てくれていました。昨年の清掃活動が10回目でしたので11回目を数えます。

猛暑の中、しかも試験直前にもかかわらず10名の学部学生を含む、大学院生7名、同窓会関係者12名の総勢29名が集まってくれました。

例年より少し多かった落ち葉を集めたり、雑草を取ったりの作業に汗を流し、きれいにするのには1時間ほどの時間が必要でした。作業の途中には、昭和22年卒で、原爆投下当時に学生であった田崎先輩にもお越しいただきました。作業を終え、慰霊碑への焼香を済ませた参加者は、冷えた飲物で喉を潤した後、記念写真を撮影して一休みしました。

その後、田崎和之先輩から当時の射的場と防空壕のことをお話しいただきました。今年はそのお話しの模様をビデオに収めましたので、是非お聞きいただきたいと思います(下のYouTubeビデオ)。毎年書いていますが、原爆の理不尽さを再認識させられます。

中島憲一郎教授が日本薬学会学術貢献賞を受賞

中島憲一郎教授が平成22年度日本薬学会学術貢献賞を受賞されました。同窓生一同、心よりお祝い申し上げます。おめでとうございます。

受賞を記念して、平成22年3月28日から岡山で開催された日本薬学会第130年会において、受賞記念講演会が行われました。全日空ホテル 曲水の間で行われた講演のタイトルは「生体関連物質の高感度計測を目的としたルミネッセンス検出法の開発と応用」で、試薬の合成に始まり、最近の乱用薬物の高感度定量に発展させていかれた過程をお話しされ、会場からの大きな拍手で祝福されました。