ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成18年8月6日(日)、長薬同窓会の年間行事の一つであるぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。今年で7回目となり、定着してきたこの清掃、伊豫屋新会長の下では初めてになります。同窓会役員とともに清掃に参加してくれた現役学生の半数以上は清掃2回以上の経験者ですが、1年生を含め、初めて参加してくれた学生もいました。平成18年の定期総会で役員の顔ぶれも変わり、役員側にも初参加の先生方の顔がありました。原爆投下当時に学生であった田崎先輩(S22)にも昨年同様参加していただきました。田崎先輩は原爆以来欠かすことなく足を運んでおられます。

猛暑の中ではありましたが、すでに一度清掃されていたようで、落ち葉を燃やしながら、慰霊碑廻りの清掃を行い、1時間ほどできれいにしました。清掃後は全員で慰霊碑にお焼香し、田崎先輩から当時の慰霊碑付近の状況をお話しいただきました。

 定期総会で新会長に就任した伊豫屋会長は、長崎支部ぐびろ会の会長を務められていたためか、グビロ会の名前の由来でもあるグビロヶ丘の話となり、一同グビロヶ丘へと登り、記念写真となりました。虞美人草(ぐびじんそう=ひなげし)は見当たりませんでしたが、一度は訪れていただきたい場所です。医学部のポンペ会館横に入口の看板がありますので、是非一度足をお運びください。

その後は、場所を移して昼食のテーブルを囲み、同窓生と現役学生との親睦を深めながら、田崎先輩から当時の様子をお聞きしました。慰霊碑清掃の模様は写真をご覧下さい。

 

清掃参加者のお名前は以下の通りです(もし名前もれがありましたらお知らせください)。暑い中、参加していただきありがとうございました。

伊豫屋偉夫(S41)、田崎和之(S22)、西脇金一郎(S33)、富永義則(S44)、中村博(S51)、中島幹郎(S57)、山中みちよ(S43)木下敏夫(S35)、高良真也(S57)、伊藤潔(S59)、岸川直哉(H10)、和田光弘(H4)、坂田真人(H15)、武次郁子、堀田タミ子、張炯炯(事務局)、小野原侑子、中島可奈子、本村貴子、竹尾公秀、卜部奏、山澤龍治(大学院生)、藤村憲行、中俣智浩、細井雄仁、藤山綾子、多以良優子、近藤奈央子、高須峰代、江里口あい(4年生)、渡邊裕之、古賀健太郎、古賀恒光、宮川俊介、井前信哉、川原美穂子、久保寛子、伊東ともみ(3年生)、粢田拓也、川崎雄太、坂野綱則(2年生)、番匠谷研吾、山下輝樹(1年生)

 

地域薬剤師卒後教育研修センター

本センターは、財団法人長薬協会の規程に基づき、薬剤師養成教育の6年制への移行に伴う4年生教育下での薬剤師免許取得者に対する先端薬学の講義等を通じて卒後教育を実施することにより、既卒薬剤師の資質向上を図ることを目的として設置されるものです。

中身はまだこれから充実させなければなりませんが、平成18年3月25日に、その開所式と記念懇談会が行われました。

 

旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃

本年度事業計画の一つであります旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃に関して、事務局で参加者を募りましたところ、9名の方の参加協力を得ることができました。当日(平成17年11月27日の日曜日)は、明け方に雷が鳴るなど天気が危ぶまれましたが、9時過ぎには晴れ間ものぞき、柏葉開館前に集合した8名(諌早の高良先生は現地集合)は、2台の車に分乗し10時ちょうどに出発しました。

10時半過ぎに現地に到着すると、高良先生はすでに草取りを始めておられました。記念碑とその回りの状態は悪くありません。記念碑の後ろを見ると昭和63年6月吉日の建立となっていますから、17年前です。その後も小野島会の先輩方がていねいに手入れをされてきたのではないかと感じます。回りのゴミを拾い集め、雑草を取るとすぐにきれいになりました。朝からの雨のせいか、焼却処分には手を焼いてしまいましたが、懸案であった小野島校舎跡記念碑の清掃事業の第一回目を無事に完了することができました。聞くところによると、小野島校舎は記念碑のすぐ隣のグラウンドのところに建っていたとのことですが、この広々とした諌早の地で先輩方は学ばれていたようです。

清掃終了後、西脇会長の案内で一行はソフトボール場の横を抜けてどこかへ向いました。グランドを過ぎ、赤とんぼ広場と書かれた広場の向こうには蔦の絡まった給水塔が目に入ってきました。回りには金網が張られ、新しい設備ができていましたが、一同、しばしなぜか感慨深げに見入ってから、写真を撮ったのでありました。

帰り際、さきほど清掃を終えた記念碑に目をやると、刻まれた金色の文字が、長薬のシンボル「柏の葉」とともに、ひときわ美しく輝いて見えました。

ひっそりと、静かに建っている記念碑ですが、昔、薬学専門部の校舎はここに建ち、歴史が刻まれていたのです。すぐ隣には諌早「干拓の里」もあります。機会がありましたら、記念碑のことを思い出し、是非一度訪れてみてください。

場所は、諌早干拓の里の横で、市営ソフトボール場のすぐ隣です。

参加者のお名前は次の通り。西脇金一郎、高木康、木下敏夫、中島憲一郎、上田孝子、高良真也、中嶋弥穂子、伊藤潔、武次郁子、以上9名。ご苦労様でした。

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成17年8月7日(日)、ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。今年で6回目を数えますが、現役学生と同窓会役員で清掃を行いました。原爆投下当時に学生であった田崎先輩(S22)にも昨年同様参加していただきました。田崎先輩は原爆以来欠かすことなく足を運んでおられます。猛暑の中ではありましたが、1時間ほどできれいにしてしまいました。清掃後は全員で慰霊碑に線香を上げ、田崎先輩から当時の慰霊碑付近の状況をお話しいただきました。その後は、場所を移して昼食のテーブルを囲み、同窓生と現役学生との親睦を深めながら、田崎先輩から当時の様子をお聞きしました。慰霊碑清掃の模様は写真をご覧下さい。暑い中、参加していただきありがとうございました。

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成16年8月8日(日)、ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。今年で5回目を数えますが、現役学生と同窓会役員を合わせて30名を越す皆さんが清掃に参加してくれました。同窓会からの参加者は、西脇会長(S33)、中島副会長(S46)(学部長)、伊豫屋副会長(S41)、上田副会長(S47)、高木副会長(S57)、伊藤会計主任(S59)事務局の大河内さんと武次さんに加えて、同窓会の世話を手伝っていただいている趙さん、原爆投下当時に学生であった田崎先輩(S22)にも参加していただきました。田崎先輩は原爆以来欠かすことなく足を運んでおられます。猛暑の中ではありましたが、1時間ほどできれいにしてしまいました。清掃後は全員で慰霊碑に線香を上げ、田崎先輩から当時の慰霊碑付近の状況をお話しいただきました。その後は、場所を移して昼食のテーブルを囲み、同窓生と現役学生との親睦を深めながら、田崎先輩から当時の様子をお聞きしました。慰霊碑清掃の模様は下の写真をご覧下さい。また、当日、清掃をした際にぐびろヶ丘と慰霊碑のある防空壕跡地への歩道の写真を撮ってきましたので合わせてご覧下さい。暑い中、参加していただきありがとうございました。

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成15年8月3日(日)、ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。20名ほどの学生たちが自主的に清掃に参加してくれました。

同窓会からの参加者は、西脇会長(S33)、伊豫屋副会長(S41)、上田副会長(S47)、中嶋幹朗(S57)、弥穂子(S61院:庶務主任)ご夫妻、伊藤会計主任(S59)事務局の大河内さんに加えて、佐々木副会長(S53)もお忙しい中駆けつけてくださいました。現役学生の参加者名簿はページの下に載せています。一面を覆っていた落ち葉でしたが、手際よく1時間ほどで見違えるようにきれいにすることができました。

清掃後は、場所を移し、伊藤好古先生の手記を西脇会長の朗読により拝聴しました。その後昼食のテーブルを囲み、西脇会長を始めとする同窓生と親睦を深めながら、原爆で亡くなられた先輩たちの無念さに思いを馳せました。

清掃に参加してくれた現役学生の皆さん

川端英司(M2)竹辺亜紀(M2)市原絵美(M1)坂田真人(M1)二宮尋子(M1)蓑田亜依(M1)山田のぞみ(M1)永川貴(4年)小川恭平(4年)片山奈央香(4年)小野原侑子(4年)水間潤(4年)三宅洋一郎(4年)宮野恭彰(4年)牟田響(4年)山田孝明(4年)卜部奏(3年)穂積宏彰(3年)山澤龍治(3年)徳田宙久(1年)長尾覧剛(1年)中俣智浩(1年)藤村憲行(1年)

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成14年8月4日(日)、ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。20名ほどの学生たちが自主的に清掃に参加してくれました。清掃後は、昼食のテーブルを囲み、当時学生であられた田崎先輩(昭和22年卒)の被爆体験談を真剣な面持ちで聞いていました。画像はその時の模様です。尚、田崎先輩が学生達を前に朗読された、冨田恒夫先生(昭和20年卒:武庫川女子大学名誉教授)によるを「忘れ得ぬ日」の一部も掲載しています。亡くなられ先輩たち(1,2年生が多かったそうですので、当時19、20歳の若さです)の無念さを偲んで頂きたいと思います。

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成13年8月5日(日)、ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。学生たちも清掃後の被爆体験談を聞くのが楽しみと多数参加してくれました。その時の模様は、以下の画像の通りです。尚、56年前の8月9日の現状を「長崎医科大学壊滅の日」の中から抜粋した手記も掲載しています。亡くなられ先輩たちの無念さを偲んで頂きたいと思います。

「出島のくすり」日蘭交流400周年記念事業のお知らせ

平成12年11月10日

長薬同窓会の皆様へ

「出島のくすり」出版のご案内

 長崎大学薬学部では日蘭交流400周年の記念事業の一つとして,「出島のくすり」を出版いたしました。九州大学出版会より発刊され、コンパクトな新書判の形式で、定価は 1400 円(税別)です。この本は,長崎大学薬学部の教官により製作されたものですが,長崎の「出島」に渡来したくすりに始まる近代薬学導入の歴史を多方面から記述したものです。また,長崎大学薬学部の歴史についても紹介しています。母校と長崎の薬学の歴史を散策するのには十分な内容であると自負しております。

「出島のくすり」にたくさんの購入予約をいただき誠にありがとうございました。本はすでに完成し、すでに皆様のお手元に届いていることと存じます。母校のルーツを含む薬学の歴史の一端に触れてください。よろしければ、本の感想などをお送りください。

また、追加のご注文等がありましたら、同窓会事務局までご連絡ください。