ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成20年8月3日(日)、長薬同窓会の年間行事の一つであるぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。本サイトには載っていませんが、慰霊碑の除幕式が行われたのが平成11年(1999年)8月9日で、翌年の2000年から清掃活動を行っていますので今年は9回目に当たるかと思います。この清掃活動も定着してきました。

 伊豫屋新会長の下では3回目となる清掃活動には、西脇前同窓会長をはじめ、長崎支部ぐびろ会の山中会長、富永、中嶋両副会長にもお忙しい中駆けつけていただきました。同窓会役員とともに清掃に参加してくれた現役学生の半数以上は清掃2回以上の経験者でしたが、1年生を含め、今年も初めて参加してくれた学生がいたことは喜ばしいことです。また、これも毎年記していますが、原爆投下当時に学生であった田崎先輩(S22)にも参加していただきました。田崎先輩は原爆以来欠かすことなく足を運んでおられます。今年は近隣の方に配慮して落ち葉を燃やすことなくゴミ袋にまとめましたが、用意したゴミ袋はすぐに使い切ってしまい1時間ほどできれいにしました。慰霊碑廻りの清掃後は全員で慰霊碑にお焼香し、写真を撮りました。少々早めに終了しましたので、ぐびろが丘にも登ってみました。

 その後は、場所を移して昼食のテーブルを囲み、同窓生と現役学生との親睦を深めながら、田崎先輩から当時の様子をお聞きしました。

清掃参加者のお名前は以下の通りです(もし名前もれがありましたらお知らせください)。暑い中、参加していただきありがとうございました。

伊豫屋偉夫(S41)、田崎和之(S22)、西脇金一郎(S33)、富永義則(S44)、佐々木均(S53)、山中國暉(S43)、木下敏夫(S35)、高良真也(S57)、中嶋幹郎(S57)伊藤潔(S59)、岸川直哉(H10)、武次郁子、張炯炯(事務局)、山澤龍治、古賀恒光、古賀健太郎、渡邊裕之、宮川俊介(大学院生)、川崎雄太、田中祐輔、粢田拓也、寺師綾子、久継明日美、吉田知世、三木昌子(4年生)、山下輝樹、番匠谷研吾、石山夏希、平田陽子(3年生)、高橋毅行、迎武紘(1年生)

追記 一杯になったゴミ袋の処理を4名の大学院生(山澤、藤村、粢田、古賀)にやっていただきました。暑い中ご苦労様でした。(08.08.05)

旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃

今年度事業計画の一つの旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃を、平成19年11月18日に長薬同窓会役員6名、事務局1名と今年度より地元諫早支部の支部長に就任された昭和41年卒の平山文俊氏の計8名で実施しました。

当日は、寒くなるとの予報通り、やや冷え込んだ曇り空の下、防寒対策をして集まった6名(諫早在住者2名は現地集合)は3台の車に分乗し10時過ぎに柏葉会館前を出発しました。 11時前に現地に到着すると、高良編集幹事がすでに到着していました。間を置かず平山諫早支部長も合流しました。夏の猛暑の影響でもあるのか、記念碑のまわりには雑草が高く繁っていましたが、富永副会長が鎌を手に刈り始め、他も一同軍手をはめ草むしりに取りかかると1時間足らずできれいな姿となりました。いつものように、記念碑もきれいに拭きあげて、清掃を終わりました。

 その後、諫早市内で食事をしながら、新諌早支部長の平山氏からは支部活動の難しさや今後の展望などをお話しいただき、今後の日本といった話題にまで発展し、談笑の中、互いの労をねぎらって帰宅の途につきました。

記念碑は諫早市小野町の「干拓の里」の横に建てられています。皆様も、記念碑の近くをお通りの機会がありましたら、是非立ち寄っていただき、先輩諸氏が過ごされた当時を偲んでいただけたらと思います。参加者のお名前は次の通り。伊豫屋偉夫、木下敏夫、富永義則、平山文俊、高良真也、伊藤潔、和田光弘、武次郁子、以上8名。お疲れ様でした。

(伊藤 潔 記)

公開講演会および懇親会のご報告

小林龍二,下村脩 両先生の特別講演会「薬学研究の楽しさと喜び」及び下村先生の長崎大学名誉校友記授与式を終えて

長崎大学薬学部地域薬剤師卒後教育研修センター長

中島憲一郎(昭46)

 長崎大学薬学部地域薬剤師卒後教育研修センターは,薬学部の研究教育の活性化を目指して,同窓生はじめ多くの皆様方からいただいた寄付金により,平成17年に設置されました。薬学六年制のスタートにも合致していたことから,地域薬剤師の卒後教育研修の一環として,実験や演習を取り入れた非常にユニークな研修と,各界で活躍中の同窓生を講師に招いての講演会を実施しています。

本年度は第3回の講演会として,国外で活躍中の研究者に講演していただく企画をたてました。小林龍二先生(院55)と下村 脩先生(昭26)のお二人です。なお,下村 脩先生は昨年「朝日賞」を受賞されたことが評価され,この度,長崎大学名誉校友の称号が授与されることになり,その式典も同時に開催されました。

今回の講演会には,同窓会の皆様,在学生,地域薬剤師の皆様など総勢413名の参加がありました。久しぶりに中部講堂が一杯になり,大変盛会でした。ご参加いただいた皆様に心より感謝申し上げます。

 さて,小林博士は現在,米国テキサス大学MDアンダーソン癌センター教授で,長崎大学大学院薬学研究科の修士及び博士課程(指導教官,鶴大典教授)を修了しておられます。これまで,米国のハワイ大学,コールド・スプリング・ハーバー研究所及びテキサス大学において延べ23年に亘って研究を続けておられます。専門はプロテオミクスの研究ですが,今回の講演では「プロテオミクスの新展開」と題して,最先端のプロテオミクスの研究状況を,これまでの研究経過や成果を交えながら分かりやすくお話しいただきました。ポストゲノム時代の一翼を担うプロテオミクス研究における癌など重篤な疾病のマーカー検索やこれからの研究の方向性など,さらに理解が深められたと思います。

 一方,下村 脩先生は現在,米国マサチューセッツのファルマウスに住んでおられます。昭和26年に長崎医科大学附属薬学専門部を卒業された後,同助手,名古屋大学助教授を経られて,米国プリンストン大学上席研究員,ウッズホール海洋生物研究所上席研究員を歴任されました。平成13年にウッズホール海洋生物研究所を退職された後は,ご自宅の研究室で生物発光の研究を楽しんでおられます。先生の米国での研究生活は50年近くになろうとしています。今回の講演では「クラゲ中の二種類の蛋白質「イクオリンと緑色蛍光蛋白質(GFP)」の発見とその生命科学への貢献」と題してお話しいただきました。下村先生はこの50年の間,生物発光に関する研究を継続しておられますが,その最大の業績ともいえるイクオリンやGFPの発見に至った状況をユーモアを交えながらお話しくださいました。5万匹のオワンクラゲから僅か2mgのイクオリンを取出し,発光反応機構を解明していく努力は,並大抵のことではありません。「この研究に費やした長い年月や資金,そして多くの偶然の中,一つでも違っていたらこの発見は無かったであろう」と感想を述べられましたが,非常に奥深く感動的な言葉でした。先生が良き助手である奥様と共に歩んでこられたこれまでの長い研究生活を多くの学生が感銘を受けながら聴いておりましたが,彼らの将来にとって,きっと役立つ話であったろうと信じています。

 下村先生への長崎大学名誉校友の称号授与は,先にも記載しましたが,昨年,朝日新聞社が提供する「朝日賞」の受賞が評価されたものです。朝日賞は科学や芸術など非常に優れた業績に対して贈られる賞ですが,先生は「緑色蛍光たんぱく質GFPの発見と生命科学への貢献」で受賞されました。今回,講演に先立って斎藤 寛学長から名誉校友記が授与されましたが,学長は「150年の長崎大学の歴史の中で,最も喜ばしい日となりました」とお祝いの言葉を添えられました。なお,本校の名誉校友は大学の名を大いに高らしめた卒業生に贈られるもので,下村先生が3人目となります。

先生方のご講演のあと,ホテルニュー長崎で懇親会を開催しました。学長,学部長はじめ60名余の参加を頂き,両先生を囲んで大変和やかで楽しい懇親会となりました。ご参加いただきました皆様に心より感謝申し上げます。左の写真は学部長からお二人の講演者に記念品を贈呈しているところです。

長崎大学地域薬剤師卒後教育研修センターは,これからも長薬同窓会と連携しながらより良い,より充実した地域薬剤師の卒後教育研修を目指して取り組んでまいります。今後とも,皆様方のより一層のご協力とご助成をお願いいたします。

第三回 長崎大学薬学部地域薬剤師 卒後教育研修センター講演会 平成19年10月20日懇親会での記念写真

ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃

平成19年8月5日(日)、長薬同窓会の年間行事の一つであるぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。今年で7回目となり、この清掃も本当に定着してきた感があります。本サイトには書いたことがなかったと思いますが、毎年、市民大清掃の日と同じ日でもあります。朝8時より家の周りの道路・公園など、公共の場所における散乱ごみの清掃を行うというのが市民大清掃です。ちょっと検索したところ、長崎新聞社の2002年の記事に、次のような記載がありました。「原爆の日に合わせて来崎する観光客へのもてなしの気持ちを込め、毎年八月の第一日曜日に実施」。その年が三十回目ということでしたので、2007年の今年は三十五回目ということになります。長薬同窓会の取り組みはようやく8回目を迎えたところですが、共通する部分もある市民大清掃のように定着させていきたいものです。

 

 伊豫屋新会長の下、2回目となる清掃活動です。長崎支部ぐびろ会の山中会長もお忙しい中駆けつけていただきました。同窓会役員とともに清掃に参加してくれた現役学生の半数以上は清掃2回以上の経験者ですが、1年生を含め、初めて参加してくれた学生もいました。毎年記していますが、原爆投下当時に学生であった田崎先輩(S22)にも参加していただきました。田崎先輩は原爆以来欠かすことなく足を運んでおられます。猛暑の中、落ち葉を燃やして、さらに熱くなりながら、慰霊碑廻りの清掃を行い、1時間半ほどできれいにしました。今年は、ポンペ会館横が入口となっている慰霊碑周辺へ続く遊歩道にもほうきを入れました。歩きやすくなったと思いますので是非一度散策がてら足を運んでみてください。ただし、蚊にはご注意を。清掃後は全員で慰霊碑にお焼香し、田崎先輩から当時の慰霊碑付近の状況をお話しいただきました。

その後は、場所を移して昼食のテーブルを囲み、同窓生と現役学生との親睦を深めながら、田崎先輩から当時の様子をお聞きしました。慰霊碑清掃の模様は写真をご覧下さい

清掃参加者のお名前は以下の通りです(もし名前もれがありましたらお知らせください)。 暑い中、参加していただきありがとうございました。

伊豫屋偉夫(S41)、田崎和之(S22)、中村博(S45)、佐々木均(S53)、山中國暉(S43)、木下敏夫(S35)、高良真也(S57)、伊藤潔(S59)、岸川直哉(H10)、和田光弘(H4)、坂田真人(H15)、山下絹代(H13)、武次郁子、張炯炯(事務局)、中島可奈子、山澤龍治、徳田宙久、(大学院生)、渡邊裕之、古賀健太郎、古賀恒光、宮川俊介、井前信哉、伊東ともみ(4年生)、粢田拓也、川崎雄太、三木昌子、谷口麿美、横尾広美(3年生)、番匠谷研吾、平田陽子(2年生)、中谷勲男、新田晃也(1年生)

平成19年度 近畿支部総会終わる

以下は近畿支部長の白石先生からいただいたメールです。

日 時 : 6月9日 16時~16時50分

場 所 : ホテルグランヴィア大阪 20階 名庭

近畿支部総会は昭和24年卒から平成8年卒までの会員50名が参加し、伊豫屋同窓会会長のご出席を得て行われ、滞りなく予定時間に終了しました。本年も引き続き近畿支部12号を発行します。ご協力のほどよろしくお願いします。

引続き行われました長薬同窓会総会・懇親会には北は関東支部から南は沖縄支部まで、16支部から120名の方が出席されました。和やかなうちにも盛大に行われました。皆様が同窓生に声をかけて下さったお蔭です。お礼の気持ちをお伝えします。有難うございました。

(2007.07.12)

下村脩先生(昭和26年卒)の朝日賞贈呈式

去る平成19年1月29日に朝日賞贈呈式が東京・帝国ホテルで催されました。朝日賞、大佛次郎賞、大佛次郎論壇賞の3賞合同の贈呈式でした。1月30日(平成19年)の朝日新聞朝刊に関連記事が掲載されていますのでご覧になった方も多いかと思います。

関連記事:下村先生の講演会(於:長崎大学 中部講堂)

(以下は、贈呈式に長薬同窓会を代表して出席した関東支部長の富安一夫先生(昭和34年卒)のメールからの抜粋です。)

昭和26年卒の下村脩先生が2006年度朝日賞を受賞され、平成19年1月29日に東京で贈呈式が行なわれました。先生は卒業後、フルブライト留学生として渡米され、米プリンストン大学研究員、名古屋大学助教授などを経て、82年から米ウッズホール海洋研究所上席研究員となられ研究を続けられました。

 研究の中で、「オワンクラゲに含まれる緑色蛍光タンパク質GFPの発見と生命科学への貢献」が評価され、今回の受賞につながったものです。遺伝子研究の進歩とともに、タンパク質に印を付ける道具として応用され、現在では生命科学その他の分野の発展に世界的に大きく寄与しています。先生は受賞の挨拶の中で、蛍光物質の抽出と結晶化には成功したが、自分では用途がわからず、他の研究者のお陰で有名になったとおっしゃっていました。また、挨拶の途中で会場を暗くして、発見したGFPタンパク質の美しく発光する蛍光を見せて皆を驚かせておられました。

 贈呈式は、朝日賞の他、大仏次郎賞、大仏次郎論壇賞と3部門合同で行なわれたため、各分野の方が大勢つめかけ盛大でした。下村先生は明美夫人とともに出席されていましたが、長薬同窓会の関係では、河野信助名誉教授夫妻、明美夫人と長薬で同期の松尾幸子さん、田中良子さん、上野美智子さん、安西美恵子さん、それに同窓会の会長代理として富安が出席し、合計7名でした。下村先生は、米マサチューセッツ州の自宅に研究所を作り研究を続けられているそうです。

余談ですが、受賞者の中には、「いもたこなんきん」が人気の田辺聖子さんもおられ、「杖を使って不自由そうでしたが元気そうでした。」とのことでした。

上の写真は富安先生からお送りいただいた贈呈式の模様です。

また、小さな緑色蛍光と下の6枚の携帯写真は松尾幸子さんが撮影されたものです。

下村脩先生(昭和26年卒)の朝日賞受賞が決定 1

2007年の最初のお知らせは、正月早々、大変喜ばしいニュースが届きました。昭和26年卒業で、前アメリカ・ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員であった下村脩博士が2006年度の朝日賞を受賞することが決定しました。

朝日賞は、1929(昭和4)年に朝日新聞社が創刊50周年を記念して創設したもので、人文や自然科学など、わが国のさまざまな分野において傑出した業績をあげ、文化、社会の発展、向上に多大な貢献をされた個人または団体に贈られている、大変栄誉ある賞です。

下村脩先生は昭和26年長崎大学薬学部のご出身で、生物発光研究の第一人者です。主な研究は渡米後に行なわれたもので、発光クラゲであるオワンクラゲからのイクオリン・GFP (Green Fluorescent Protein) の発見とその発光メカニズムの研究が今回の受賞につながっています。この一般には耳慣れないGFPの研究は、生物発光研究の分野にとどまらず、生命科学研究の今日の発展には欠かすことのできない道具として極めて大きな影響を与えました。下村先生は、プリンストン大学・ボストン大学・ウッズホール海洋生物学研究所 (MBL) などに在籍し、オワンクラゲの研究は主にプリンストン大学時代に、ワシントン大学のフライデーハーバー研究所での成果です。(ご存知のようにプリンストン大学はニュージャージーにありますが、おそらく、オワンクラゲをワシントンまで採りに行っていたのだと思います。詳しい方がいましたら教えてくださいと書きましたが、下村先生ご自身からのご寄稿による1995年の同窓会報第35号の記事「発光生物研究40年」を是非お読みください。)また、ウッズホール海洋生物学研究所 (Marine Biological Laboratories; MBL) は、アメリカのマサチューセッツ州ウッズホールにある全米最古の海洋生物学の研究所ですが、単一の研究所としては、最多のノーベル賞受賞者を輩出していることでも知られ、下村先生もここ数年、ノーベル賞候補に名前が挙げられています。

長薬同窓会同窓会は、先生の今回の朝日賞受賞を心よりお慶び申し上げ、同窓生の皆様にもお知らせする次第です。

 右の写真は、GFPを発現している(右)と発現していない(左)大腸菌の写真です。美しい蛍光です。(もっとふさわしい写真があると思いますが、手元に大腸菌のものしかなかったのでしばらくはこの写真でご容赦下さい。)

 

1962年の初めてのAequorin精製の論文にはリンクできませんでしたが、1975年のPNAS(1975 Apr;72(4):1546-9.)へのリンクを載せておきます。興味のある方は読んで見てください。もちろん、他にも多くの論文があります。

また、下村先生のお写真はこちらの GFP History のページで見ることができますし、Forbes.com – Magazine Article にも同じ写真が載っているのを見つけました。実際にオワンクラゲから精製したタンパク質を手にした写真です。上の大腸菌が作ったGFPの蛍光と見比べてみるのも面白いかもしれません。皆様も、下村先生の受賞をお祝いしながら、いろいろと検索してみてはいかがでしょうか。

<以下新聞記事からの抜粋です>

2006年度の朝日賞は、下村脩先生を含む以下の6名に送られることが決定されました。副賞は500万円で、贈呈式は平成19年1月29日の午後4時半、東京・帝国ホテルで行なわれるそうです。

田辺聖子さん(作家:「田辺聖子全集」(全24巻・別巻1)完結にいたる文学活動の業績)

村上春樹さん(作家:世界各国で翻訳され、若い読者を中心に同時代の共感を呼んだ文学的功績)

野村万作さん(狂言師:長年にわたる狂言の優れた上演と幅広い舞台芸術への貢献)

川人光男さん(脳科学者:小脳内部モデル理論の提案・検証と人型ロボットによる脳機能の解明)

近藤孝男さん(時間生物学者:生物時計の分子機構に関する研究)

下村脩さん(発光生物学者:緑色蛍光たんぱく質GFPの発見と生命科学への貢献)

旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃

今年度事業計画の一つの旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃を、平成18年12月3日に長薬同窓会役員6名、事務局1名と昭和23年に小野島校舎を卒業された長崎県川棚町在住の白川學さんの計8名で実施しました。

当日は、曇り空で小雨も心配されましたが、柏葉会館前に集合した時には陽も差込み、7名は3台の車に分乗し10時頃出発しました。

10時半過ぎに現地に到着し清掃を始めると、白川學さんがお見えになり、皆と一緒に清掃をしていただきました。記念碑の周りの雑草を取り、ゴミを拾い集めると、大きなゴミ袋が一杯になり、瞬く間にきれいになりました。最後に、記念碑をきれいに拭きあげて、清掃を終わりました。記念碑に目をやると、長薬のシンボル「柏の葉」とともに、刻まれた金色の文字が、ひときわ美しく輝いて見えました。

 その後、美しく輝いた記念碑の前で、白川學さんから、佐賀の校舎に入学し、その後小野島に移転し、韓国や満州からの引揚者の学生と一緒になり、60名の定員が90名を超える数になったこと、校舎の周りは田んぼばかりなのに米が手に入らなくてご飯が食べられなかったこと、など当時の様子についてお話をしていただきました。

 記念碑は諫早市小野町の「干拓の里」の横に建てられています。皆様も、記念碑の近くをお通りの機会がありましたら、是非立ち寄っていただき、先輩諸氏が過ごされた当時を偲んでいただけたらと思います。 参加者のお名前は次の通り。白川學、木下敏夫、伊豫屋偉夫、富永義則、伊藤潔、和田光弘、岸川直哉、武次郁子、以上8名。お疲れ様でした。

(伊豫屋偉夫 記)