下村先生の朝日賞受賞が決定しました。先生の研究を振り返られた寄稿文を掲載します。同窓会報第35号へ寄稿頂いたものです。
2007年の最初のお知らせは、正月早々、大変喜ばしいニュースが届きました。昭和26年卒業で、前アメリカ・ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員であった下村脩博士が2006年度の朝日賞を受賞することが決定しました。
朝日賞は、1929(昭和4)年に朝日新聞社が創刊50周年を記念して創設したもので、人文や自然科学など、わが国のさまざまな分野において傑出した業績をあげ、文化、社会の発展、向上に多大な貢献をされた個人または団体に贈られている、大変栄誉ある賞です。
下村脩先生は昭和26年長崎大学薬学部のご出身で、生物発光研究の第一人者です。主な研究は渡米後に行なわれたもので、発光クラゲであるオワンクラゲからのイクオリン・GFP (Green Fluorescent Protein) の発見とその発光メカニズムの研究が今回の受賞につながっています。この一般には耳慣れないGFPの研究は、生物発光研究の分野にとどまらず、生命科学研究の今日の発展には欠かすことのできない道具として極めて大きな影響を与えました。下村先生は、プリンストン大学・ボストン大学・ウッズホール海洋生物学研究所 (MBL) などに在籍し、オワンクラゲの研究は主にプリンストン大学時代に、ワシントン大学のフライデーハーバー研究所での成果です。(ご存知のようにプリンストン大学はニュージャージーにありますが、おそらく、オワンクラゲをワシントンまで採りに行っていたのだと思います。詳しい方がいましたら教えてくださいと書きましたが、下村先生ご自身からのご寄稿による1995年の同窓会報第35号の記事「発光生物研究40年」を是非お読みください。)また、ウッズホール海洋生物学研究所 (Marine Biological Laboratories; MBL) は、アメリカのマサチューセッツ州ウッズホールにある全米最古の海洋生物学の研究所ですが、単一の研究所としては、最多のノーベル賞受賞者を輩出していることでも知られ、下村先生もここ数年、ノーベル賞候補に名前が挙げられています。
長薬同窓会同窓会は、先生の今回の朝日賞受賞を心よりお慶び申し上げ、同窓生の皆様にもお知らせする次第です。
右の写真は、GFPを発現している(右)と発現していない(左)大腸菌の写真です。美しい蛍光です。(もっとふさわしい写真があると思いますが、手元に大腸菌のものしかなかったのでしばらくはこの写真でご容赦下さい。)
1962年の初めてのAequorin精製の論文にはリンクできませんでしたが、1975年のPNAS(1975 Apr;72(4):1546-9.)へのリンクを載せておきます。興味のある方は読んで見てください。もちろん、他にも多くの論文があります。
また、下村先生のお写真はこちらの GFP History のページで見ることができますし、Forbes.com – Magazine Article にも同じ写真が載っているのを見つけました。実際にオワンクラゲから精製したタンパク質を手にした写真です。上の大腸菌が作ったGFPの蛍光と見比べてみるのも面白いかもしれません。皆様も、下村先生の受賞をお祝いしながら、いろいろと検索してみてはいかがでしょうか。
<以下新聞記事からの抜粋です>
2006年度の朝日賞は、下村脩先生を含む以下の6名に送られることが決定されました。副賞は500万円で、贈呈式は平成19年1月29日の午後4時半、東京・帝国ホテルで行なわれるそうです。
田辺聖子さん(作家:「田辺聖子全集」(全24巻・別巻1)完結にいたる文学活動の業績)
村上春樹さん(作家:世界各国で翻訳され、若い読者を中心に同時代の共感を呼んだ文学的功績)
野村万作さん(狂言師:長年にわたる狂言の優れた上演と幅広い舞台芸術への貢献)
川人光男さん(脳科学者:小脳内部モデル理論の提案・検証と人型ロボットによる脳機能の解明)
近藤孝男さん(時間生物学者:生物時計の分子機構に関する研究)
下村脩さん(発光生物学者:緑色蛍光たんぱく質GFPの発見と生命科学への貢献)
今年度事業計画の一つの旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃を、平成18年12月3日に長薬同窓会役員6名、事務局1名と昭和23年に小野島校舎を卒業された長崎県川棚町在住の白川學さんの計8名で実施しました。
当日は、曇り空で小雨も心配されましたが、柏葉会館前に集合した時には陽も差込み、7名は3台の車に分乗し10時頃出発しました。
10時半過ぎに現地に到着し清掃を始めると、白川學さんがお見えになり、皆と一緒に清掃をしていただきました。記念碑の周りの雑草を取り、ゴミを拾い集めると、大きなゴミ袋が一杯になり、瞬く間にきれいになりました。最後に、記念碑をきれいに拭きあげて、清掃を終わりました。記念碑に目をやると、長薬のシンボル「柏の葉」とともに、刻まれた金色の文字が、ひときわ美しく輝いて見えました。
その後、美しく輝いた記念碑の前で、白川學さんから、佐賀の校舎に入学し、その後小野島に移転し、韓国や満州からの引揚者の学生と一緒になり、60名の定員が90名を超える数になったこと、校舎の周りは田んぼばかりなのに米が手に入らなくてご飯が食べられなかったこと、など当時の様子についてお話をしていただきました。
記念碑は諫早市小野町の「干拓の里」の横に建てられています。皆様も、記念碑の近くをお通りの機会がありましたら、是非立ち寄っていただき、先輩諸氏が過ごされた当時を偲んでいただけたらと思います。 参加者のお名前は次の通り。白川學、木下敏夫、伊豫屋偉夫、富永義則、伊藤潔、和田光弘、岸川直哉、武次郁子、以上8名。お疲れ様でした。
(伊豫屋偉夫 記)
平成18年8月6日(日)、長薬同窓会の年間行事の一つであるぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。今年で7回目となり、定着してきたこの清掃、伊豫屋新会長の下では初めてになります。同窓会役員とともに清掃に参加してくれた現役学生の半数以上は清掃2回以上の経験者ですが、1年生を含め、初めて参加してくれた学生もいました。平成18年の定期総会で役員の顔ぶれも変わり、役員側にも初参加の先生方の顔がありました。原爆投下当時に学生であった田崎先輩(S22)にも昨年同様参加していただきました。田崎先輩は原爆以来欠かすことなく足を運んでおられます。
猛暑の中ではありましたが、すでに一度清掃されていたようで、落ち葉を燃やしながら、慰霊碑廻りの清掃を行い、1時間ほどできれいにしました。清掃後は全員で慰霊碑にお焼香し、田崎先輩から当時の慰霊碑付近の状況をお話しいただきました。
定期総会で新会長に就任した伊豫屋会長は、長崎支部ぐびろ会の会長を務められていたためか、グビロ会の名前の由来でもあるグビロヶ丘の話となり、一同グビロヶ丘へと登り、記念写真となりました。虞美人草(ぐびじんそう=ひなげし)は見当たりませんでしたが、一度は訪れていただきたい場所です。医学部のポンペ会館横に入口の看板がありますので、是非一度足をお運びください。
その後は、場所を移して昼食のテーブルを囲み、同窓生と現役学生との親睦を深めながら、田崎先輩から当時の様子をお聞きしました。慰霊碑清掃の模様は写真をご覧下さい。
清掃参加者のお名前は以下の通りです(もし名前もれがありましたらお知らせください)。暑い中、参加していただきありがとうございました。
伊豫屋偉夫(S41)、田崎和之(S22)、西脇金一郎(S33)、富永義則(S44)、中村博(S51)、中島幹郎(S57)、山中みちよ(S43)木下敏夫(S35)、高良真也(S57)、伊藤潔(S59)、岸川直哉(H10)、和田光弘(H4)、坂田真人(H15)、武次郁子、堀田タミ子、張炯炯(事務局)、小野原侑子、中島可奈子、本村貴子、竹尾公秀、卜部奏、山澤龍治(大学院生)、藤村憲行、中俣智浩、細井雄仁、藤山綾子、多以良優子、近藤奈央子、高須峰代、江里口あい(4年生)、渡邊裕之、古賀健太郎、古賀恒光、宮川俊介、井前信哉、川原美穂子、久保寛子、伊東ともみ(3年生)、粢田拓也、川崎雄太、坂野綱則(2年生)、番匠谷研吾、山下輝樹(1年生)
本年度事業計画の一つであります旧小野島校舎跡地記念碑周辺の清掃に関して、事務局で参加者を募りましたところ、9名の方の参加協力を得ることができました。当日(平成17年11月27日の日曜日)は、明け方に雷が鳴るなど天気が危ぶまれましたが、9時過ぎには晴れ間ものぞき、柏葉開館前に集合した8名(諌早の高良先生は現地集合)は、2台の車に分乗し10時ちょうどに出発しました。
10時半過ぎに現地に到着すると、高良先生はすでに草取りを始めておられました。記念碑とその回りの状態は悪くありません。記念碑の後ろを見ると昭和63年6月吉日の建立となっていますから、17年前です。その後も小野島会の先輩方がていねいに手入れをされてきたのではないかと感じます。回りのゴミを拾い集め、雑草を取るとすぐにきれいになりました。朝からの雨のせいか、焼却処分には手を焼いてしまいましたが、懸案であった小野島校舎跡記念碑の清掃事業の第一回目を無事に完了することができました。聞くところによると、小野島校舎は記念碑のすぐ隣のグラウンドのところに建っていたとのことですが、この広々とした諌早の地で先輩方は学ばれていたようです。
清掃終了後、西脇会長の案内で一行はソフトボール場の横を抜けてどこかへ向いました。グランドを過ぎ、赤とんぼ広場と書かれた広場の向こうには蔦の絡まった給水塔が目に入ってきました。回りには金網が張られ、新しい設備ができていましたが、一同、しばしなぜか感慨深げに見入ってから、写真を撮ったのでありました。
帰り際、さきほど清掃を終えた記念碑に目をやると、刻まれた金色の文字が、長薬のシンボル「柏の葉」とともに、ひときわ美しく輝いて見えました。
ひっそりと、静かに建っている記念碑ですが、昔、薬学専門部の校舎はここに建ち、歴史が刻まれていたのです。すぐ隣には諌早「干拓の里」もあります。機会がありましたら、記念碑のことを思い出し、是非一度訪れてみてください。
場所は、諌早干拓の里の横で、市営ソフトボール場のすぐ隣です。
参加者のお名前は次の通り。西脇金一郎、高木康、木下敏夫、中島憲一郎、上田孝子、高良真也、中嶋弥穂子、伊藤潔、武次郁子、以上9名。ご苦労様でした。
平成17年8月7日(日)、ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。今年で6回目を数えますが、現役学生と同窓会役員で清掃を行いました。原爆投下当時に学生であった田崎先輩(S22)にも昨年同様参加していただきました。田崎先輩は原爆以来欠かすことなく足を運んでおられます。猛暑の中ではありましたが、1時間ほどできれいにしてしまいました。清掃後は全員で慰霊碑に線香を上げ、田崎先輩から当時の慰霊碑付近の状況をお話しいただきました。その後は、場所を移して昼食のテーブルを囲み、同窓生と現役学生との親睦を深めながら、田崎先輩から当時の様子をお聞きしました。慰霊碑清掃の模様は写真をご覧下さい。暑い中、参加していただきありがとうございました。
平成16年8月8日(日)、ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。今年で5回目を数えますが、現役学生と同窓会役員を合わせて30名を越す皆さんが清掃に参加してくれました。同窓会からの参加者は、西脇会長(S33)、中島副会長(S46)(学部長)、伊豫屋副会長(S41)、上田副会長(S47)、高木副会長(S57)、伊藤会計主任(S59)事務局の大河内さんと武次さんに加えて、同窓会の世話を手伝っていただいている趙さん、原爆投下当時に学生であった田崎先輩(S22)にも参加していただきました。田崎先輩は原爆以来欠かすことなく足を運んでおられます。猛暑の中ではありましたが、1時間ほどできれいにしてしまいました。清掃後は全員で慰霊碑に線香を上げ、田崎先輩から当時の慰霊碑付近の状況をお話しいただきました。その後は、場所を移して昼食のテーブルを囲み、同窓生と現役学生との親睦を深めながら、田崎先輩から当時の様子をお聞きしました。慰霊碑清掃の模様は下の写真をご覧下さい。また、当日、清掃をした際にぐびろヶ丘と慰霊碑のある防空壕跡地への歩道の写真を撮ってきましたので合わせてご覧下さい。暑い中、参加していただきありがとうございました。
平成15年8月3日(日)、ぐびろが丘下の薬専防空壕跡地の慰霊碑周辺の清掃をしてきました。20名ほどの学生たちが自主的に清掃に参加してくれました。
同窓会からの参加者は、西脇会長(S33)、伊豫屋副会長(S41)、上田副会長(S47)、中嶋幹朗(S57)、弥穂子(S61院:庶務主任)ご夫妻、伊藤会計主任(S59)事務局の大河内さんに加えて、佐々木副会長(S53)もお忙しい中駆けつけてくださいました。現役学生の参加者名簿はページの下に載せています。一面を覆っていた落ち葉でしたが、手際よく1時間ほどで見違えるようにきれいにすることができました。
清掃後は、場所を移し、伊藤好古先生の手記を西脇会長の朗読により拝聴しました。その後昼食のテーブルを囲み、西脇会長を始めとする同窓生と親睦を深めながら、原爆で亡くなられた先輩たちの無念さに思いを馳せました。
清掃に参加してくれた現役学生の皆さん
川端英司(M2)竹辺亜紀(M2)市原絵美(M1)坂田真人(M1)二宮尋子(M1)蓑田亜依(M1)山田のぞみ(M1)永川貴(4年)小川恭平(4年)片山奈央香(4年)小野原侑子(4年)水間潤(4年)三宅洋一郎(4年)宮野恭彰(4年)牟田響(4年)山田孝明(4年)卜部奏(3年)穂積宏彰(3年)山澤龍治(3年)徳田宙久(1年)長尾覧剛(1年)中俣智浩(1年)藤村憲行(1年)